ヘルシンキ ~ ペテルブルク 列車旅を読んで、映画と、思い出と
小旅行記を読む
偶然これを読んで、小さな旅した気分になった。
今、ロシアとフィンランドは国境が閉ざされているはずだが、
主さんは2019年、約5年前の旅をされたよう。
ヘルシンキからペテルブルクと言えば
実は私も1987年に初めてソ連を旅行した時、
今は独立したバルト3国のエストニアの首都タリンから
フィンランドのヘルシンキ へ船で国境を越え、
ヘルシンキからレニングラード(現ペテルブルク)へ
列車でソ連に再入国という(くるっと回る)経路で移動した。
日本人が通過するのは少なかったようで、
国境の係官が、
「何これ日本のパスポート?
始めて見る、どうすりゃいいの」
みたいに慌てているのが面白かった。
その後フィンランドへは
行く機会がなかったが、
緑の6月で、
とても美しい静かな町という印象がある。
機会があれば本当はまた行ってみたい
とずっと思っているけど…。
ないかな…
紹介されている映画
上の主さんの旅行記の中で、
紹介されている映画をサイトでチラ見してみた。
モスクワからムルマンスクへ旅する話。
このヒロインはフィンランド人の女子学生で
コンパートメントで偶然一緒になった
がさつで感じ悪いロシアの炭鉱夫と
だんだん仲良くなるような話らしい。
ムルマンスクと言えば・・・
私は
1993年に
ペテルブルクからムルマンスクに
列車で往復したことがある。
片道3日掛かった。6日間乗っていた。
帰りは、コンパートメントなし
安上がりな、むき出し寝台の車両で
向かいが知らんおじさんで
話したい感じがしなかったので黙ってた。
炭鉱夫と言えば
炭鉱夫と言えば、同じ1993年にクリミア半島へ行った時、
同じ民宿に泊まっていたウクライナ人炭鉱夫と
付近の山や海辺をあちこち歩き回ったことを思い出す。
↑ここはクリミア半島南部の町スダクの
ジェノヴァの要塞の裏手
翌日には、一番左に写る岬まで歩いた。
前にちょっと書いたので貼っておく。
ミコラはウクライナ語話者だった。
クリミア半島の約10日を含む
1カ月間ウクライナを旅した。
西の端の都市リボフ(現リビウ)以外では、
みんなロシア語話者ばかりだったので、
おしゃべりの相手がウクライナ語なのは
ちょっと新鮮で面白かった。
私にはウクライナ語が、
日本で東北弁を聞いている感じに聞こえた。
北関東で6~18歳まで過ごした私としては
ちょっと懐かしい、小学生の同級生と
話しているような感じがした。
ミコラに特別な感情(関係)を持ったわけでもないのに、何故か忘れられない人の1人。