生命が環境を変える | 自然が教えてくれること

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流美農園のブログ

 

今使っている畑は

もともと除草剤を年に何度もまかれて、

すっかりカチコチに、生命が著しく乏しくなった場所。

そこは「農地」とは到底思えない固い固い砂漠のようだった。

 

5年ほど前、その固い砂漠に

トラックで土を持ち込んで盛土して作ったのが今の畑。

 

その土は、それまで家庭菜園か何かで使われていたらしいものだった。

盛土の際かき乱したから、いったんは構造がすべて崩れてしまい、

カッチコチの畝の出来上がり。

夏の日照り時にはひび割れし、

雨のシーズンでも表面から中に水は染み込まず畝を勢いよく水が流れ落ちるだけ。

 

それから5年かけて、

草を抜かず、できるだけ刈りもせず(これはズボラ)

動物・植物の生命の種類と総量を高める努力(ん?努力?結局何もしていない(^◇^))をしてきた。

 

生命が環境を変える「力」はめざましいものがあり、

初年度は親指の爪の大きさしかならなかった大根も、

この冬には手の大きさくらいになった。

確実に環境はかわっている。

 

そして今年の夏。

5月に定植して3カ月間何もしなかった夏野菜。

何をしなかったかというと、

・水やり 無し

・肥料やり 無し

・草のお手入れ 無し

畑に行っていないから当然何もしていない。

 

ダメ元で確認だけしにいったところ、

これまで一度も実ったことがないズッキーニができていた!

株も、いままでで一番の大きさ

 

繁みをわけるとキューリ

 

2mもあるブッシュのてっぺんを、

キューリは悠々と手をのばして広がり、

真夏の太陽をきもちよさそうに浴びていた。

 

 

生命が作る「環境」

それを、便利さと効率を求めて「壊し」

便利さと効率のために「作る」

それが現代農業

 

でも、ほんとうに「作って」いるのだろうか?

 

自然の恵みと呼ばれているものは、

人間の恵み

肥料の恵み

ではないだろうか?

 

人間のめぐみ

肥料のめぐみを

作ったり食べたりすることは私は否定していない。

私も毎日食べているし便利でありがたいと思っている。