ぶらり 予州の城 その3 | rumblin @ blog

ぶらり 予州の城 その3

さて、午後。
午後はどーすっかなー。
時間はあまりない。
(実はその後に、移動する予定)

A案・・・B案・・・C案・・・。
A案は正岡子規に関するコース。
B案はやはり「坊っちゃんスタジアム」に行きたい・・・

ワシの「残りの時間」を考えると・・・
訪れるチャンスの2度目はない。

人生とはまさに選択の連続ですね。笑(←また例えが大仰になっとる汗笑)
人生とは何を選ぶか=とは、つまり何を選ばないか・・・
「高校年間を時間的に野球にしか費やせない環境の高校球児はどーなんだ?」論を言う人がいますが、
高校年間に野球(部活)を選んだからこそ、高校球児は尊いんだと思いますよー。(?)
アレもコレもやりたい、なんて・・・そんなのムリです。時間的に。
野球しかしない、勉強しかしない・・・それはなんでも良いのですが・・・ご自分のやるべきことを選択し、それに邁進する・・・だから人生は尊いだと思います。汗。価値のある人生だと思います。(?)
アレもコレもやりたい、なんて・・・そんなのムリです。時間的に。
ご自分のやるべきことに邁進してください。
ジョブローテーションなんて、大っ嫌いです。汗笑。(はあ?? ・・・また何を言い出す・・・汗汗)

・・・
ということで(はあ?)
ワシは結局C案:お城めぐりコースを選ぶことにします!(はあ?)

・・・その前に・・・汗。



城下の秋山兄弟のご実家だけは参りました。
D案としては、「坂の上の雲」コースもあるんですが・・・笑。
ご親切にいろいろとご説明いただき、ありがとうございました。



参ったのはこちらです。



湯築城です!
先日の大洲城、先程午前中の松山城とは、また趣が違いますねー。



それらの城からは、
さらに150~200年くらい古い形の城となります。
戦国末・江戸初期・・・文禄・慶長期の大城郭に対し、
こちらはより中世的な、
「お館様のお城」期と申しましょーか・・・。
まだまだ、いろいろな意味で小規模な頃と申しましょうか・・・。

こちらが、
築城されたのは、建武年間とされてます。
室町初期。足利尊氏とかの時代ですねー。
こりゃまた、古いっすねー。
安政・万延なんて、最近っすよねー、って話ですわ。汗笑。
予州の名族・河野氏のお城になります。



土塁とお堀。
(もちろん、↑これは再現でしかないのでしょーけど・・・)
そーいう時代です。
お堀も火縄銃が登場以前なので幅は狭いですねー。

資料館もありました。
(写真撮るのを忘れた汗)
こちらは、正確に言うと現在は「道後公園」ということになるらしーです。
かつては動物園などもあったよーです。



動物園を閉鎖して、
その跡地に、往時の様子をこーして武家屋敷として再現されています。

動物園:子どもがターゲット

歴史施設:中高年がターゲット?

・・・なんか令和の時代の流れを感じますねー。
動物園のあり方、とか、
歴史施設の観光資源としての活用など、
複雑な背景がありますねー。
(はあ?? ・・・また何を言い出す・・・汗汗)



お屋敷の中はこーなってます。
連歌の様子の再現だそーです。
武士?(武家?)や、僧侶、農民? 町人? が一堂に介している。
「身分や階層を超えて~~」と説明されてますが・・・
近頃、ワシ的には、この中世的な「身分」という考え方をもうちょっと深く考えてみたいな、と思っております。(?)
現代人は、ヨーロッパ的なブルジョワ・プロレタリア的な構図を想像しがちですけど・・・
戦闘をする人を武士(もののふ)とするならば、
畑を耕す人も戦闘をしたし、戦闘をする人も普段は畑を耕した・・・
そー単純に身分として「分ける」ことはできないと思うんですよねー・・・汗。
・・・
何かそこに一枚、なにかニュアンス的ななにかが絡んでいるよーな気が・・・(←ハイ、意味不明ですね・・・スルーしてください汗)

まあ、いい。
(はあ?? ・・・また何を言い出す・・・汗汗)

↑右側の人は小間使いの人ですね。
一方で、こーして座敷に上がれる人、板間の人、土間の人がおる・・・

まあ、いい。
(はあ?? ・・・また何を言い出す・・・汗汗)



路地。
いいっすねー。こーいうのー。
この道幅とか、実際に則っているのでしょーか?
ジョギングする人は
↑の角の出会い頭にご注意、とある。
へー、地元の方はこのような路地をジョグされているんすかー。いいすねー。笑。
(まー、一応、公園ですからねー)



いいねーいいねー。笑。
↑右奥が先ほどの武家屋敷。
あちらは、一般家臣の領域。
左側の屋敷は、
ここからは上級家臣の領域だそー。





↑屋敷内の説明ボード。

こちらのお屋敷は礎石からだけでは、どーなっていたかは、本当のところはよーわからん、とのこと。
なので、A案B案示されていた。
こーいうの、いいよねー。
わからんものは、わからん。って。



庭園の池(跡)らしい。
ふーん。



ゴミ捨て場(跡)らしい。
ふーん。



え? 茶室??
茶室跡???
まだ時代的に茶の湯は始まっていなかったのでは・・・???

・・・と、思ったら・・・
現代人のための、ただの公衆トイレでした。笑。
(マジで遠目から、勘違いしました汗)



内堀? になるんすかね。
その内側は本丸?(本郭?)となりますねー。



その一角はこのような岩になっており、
そこには神社があるそーです。
やはり、お祈りをする場所があるんだなー・・・。
(後ほど、参ります)



半周する形で、こちらに辿り着きました。
遮蔽土塁といって、先程の屋敷やら庭園やらがある区域への出入り口になっているよーですね。
まー、往時の城内への出入り口ということですねー。

↑内側から



↑外側から
(通り過ぎて、ふり返った格好ですね)
内側が見えません。笑。(遮蔽)

一乗谷の上城戸、下城戸跡を思い出しますねー。
一乗谷も出入り口をこのように固め、
その内側に都市空間がありました。
(もちろん、規模ははるかに一乗谷が大きいのですが・・・汗)
そして、そのすぐそこに城がある。
・・・っつー、
その世界観は同じですねー。
うんうん。(なぜか満足気笑)



居住区から出ると、
そこには広いスペース。
現在はグランドになっておるが、往時はなんだったんでしょー?
武者溜? 馬場??

↑奥の階段から
本丸(本郭)に入っていきます。



天候は朝からずっーっと、
小雨(霧雨?)ですが、
足元は整備されていて、大丈夫ですねー。
(まー、公園ですからー)





画面だけ見ると、
どこかの山城っぽい? 笑。



すぐにこちらに辿り着きます。
本丸。
説明ボードには「杉ノ壇」とある。
杉ノ壇??
・・・ただし、これは江戸時代になってから、そー呼ばれていたよーなので・・・建武(室町)当時~廃城になった天正年間まではどー呼ばれていたかは定かではないよーですねー。汗。
江戸時代には廃城になった状態で、樹木がボーボーだったのかもね。それこそ杉の木とか→んで、そー呼ばれていた、とか・・・汗。

この曲輪(区画)の北側では多数の鍛冶炉が見つかり、鍛冶に関係する鞴の羽口・鉄滓・鍛造剥片も出土しているそーです。
へー、そーなんだー。
そのよーな工業技術群が城内に? とも思うが・・・
たしかにそーいった製鉄の技術というのは、
河野氏にとっては一つの大きな武器であり、財産であったのでしょーねー。
それは独占しておきたい、っつーかねー。
河野氏を名族にした、名族たる所以と申しますかねー。



さらに小高くなっているところは、
「本壇」となっています。
やはり江戸時代にそー呼称されていたよーですね。
堀切の跡も見つかっているらしいので、
そこで杉ノ壇と区別しているんだろー。



展望台になっておりました。
マツ山の市街が見渡せますが・・・
ワシの興味はこちらへ↓・・・笑。



なにやら、怪しい小径。笑。



こちらはあまり足元は整備されていませんぞ。
(・・・なぜかワクワク笑)



やはりお祈りする場所があるんですねー。
岩崎神社というそーです。
ちゃんと正面から参れば、鳥居とかもあったよーです。
(ワシは「裏側」から参ってしまったもんだから、鳥居があるのを気がつかんかった・・・汗)



北側に廻るとこのよーなものがございました。
「石造湯釜」
天平勝宝年間に造られという・・・
えー! マジですか!!
天平勝宝って・・・どんだけ前ですか・・・8世紀ですよー! 何年前ですか・・・1280年くらい前って・・・もーよくわからんです・・・汗汗笑。

「南無阿弥陀仏」と刻まれているそーですが、
それは一遍上人の書によるものらしい・・・
一遍上人って・・・鎌倉時代の人ですよねー、13世紀ですわー・・・700数十年前って・・・もーよくわからんです・・・汗汗笑。

一遍上人はこのすぐそばの宝厳寺の生まれで、
河野氏の一族だといいますねー。
そちらにも参りたいですが、もー時間が・・・汗汗。

河野氏はもともとはもーちょい予州の海岸線が出自で、
鎌倉時代まではそちらが本拠。
室町時代になって、こちらに移ってきたんですね。
「一遍上人」とは関係はないかもしれませんが、
こちらはそーいった意味で、もともと門前町、あるいは商業地として栄えていたのでしょーね。
室町という時代自体も、そーいった商業っつーか、流通っつーかが発展していった時代ですしー。
(それによって、河野氏はこちらの河野家と海側の河野家とで争うようなっていく・・・)



もーそろそろタイムアップ。
そろそろ移動しなければならない。汗。
いちおう、こちらも「見るだけ」・・・笑。
一っ風呂浴びたかったなー。笑。



それにしても、
こちらは栄えてます。
四国一、二を争う都市だとお聞きしました。
観光客がわんさか。



なんだかキレイだな~。笑。



小洒落た駅舎。
夏目漱石時代風(?)なんでしょー。汗。



路面電車で移動します。
こちらに滞在している期間は、かなり駆使させていただきました。
なかなか良かったです。



この路線図を活用させていただきました。
なんだか利用しやすかったです。
観光客に対し、
ウェルカムな街だと思いましたー。笑。

それにしても、
路面電車が走っている街って、
なーんか、いい気がします。
ファンになりました。
街を歩いていると、
軌道の音が聞こえてきて・・・
デズネーL? C的な? そんな気分です。(?)



本来であれば、
こちらのジンジャー様にはまずお参りさせていただかなければならないのですが・・・
お時間がなく申し訳ございません。
どうか、お許しください。