ぶらり 予州の城 その1 | rumblin @ blog

ぶらり 予州の城 その1

スケジュールも天候もタイトの中、
ようやく終了。
こうして無事、全ての予定をこなせたのはキセキじゃな。
感謝。感謝しかございません。

・・・
うし・・・
となれば・・・

時間もギリギリで、迷ったが・・・
行く。
行ってみよう! 笑。

まー、
ぶっちゃけ、
おそらく、ワシの「残りの時間」を考えると・・・
まー・・・おそらく、こちらを訪れるチャンスの2度目はないと思うんでね・・・汗。
もー、
2度目はない。
・・・っつーことですわー。汗。
なので、
行ってみようー。笑。



見えてきましたー!
大洲城です。
開城(?)時間はギリギリなので、急ぎます。焦。





登城路にあるこちらの石垣はモノホンですかねー。
もちろん、補修などはされているのでしょー。
よく手入れ(保全管理)をされているよーですね。
素晴らしい。

石垣は戦国末・江戸初期・・・文禄・慶長期の形状をよく現代に伝えておりますねー。



ほーい、見えてきましたよー。ワクワク。





このよーな天気になっちゃいましたが、
・・・お城・天守閣を覆う白いベールが・・・
お城の神秘性と申しましょーか・・・
逆に、それを実感できて良かったです。(ポジティブ!)

実際、こーした山に囲まれた盆地に霧がたちこめる・・・白いベールに覆われる情景というのは、日本の原風景の一つであり、
また日本人の精神性、大自然・環境に対する姿勢・考え方の形成にも大きく関わっていると思いますねー。



久米川と肱川の合流地点。
ここに城は築かれていまーす。



いわゆる舌状台地っつーね。
川が天然の濠ということになります。

時間はギリギリだったんで、入場はムリかー、と半ば諦めかけたのですが、
なんと、ご厚意でお許しいただきました!!
誠にありがとうございます!!
感謝、感謝でございます!!
みなさまのお陰で、
私の人生のページに「大洲城に行った」っつーことを書き加えていただきました。大袈裟笑。
でも、ソレ、ホントです。汗。
その人にとっては、何気ない日常の1日かも知れませんが、他の人にとっては一生を左右しかねない貴重な体験になることも、あるんですよね・・・(ワシはジジーだけど汗)
ありがとうございます。

こちらに来てから、出会う人、みなさん素晴らしい人ばかりだな・・・。



なんと、
こちらの天守閣は宿泊可能だそーです。
一泊100万円だそーです。
やはり利用されるかたは外国人のかたが多いそーです。
まー・・・そーでしょーなー。
日本人はビンボーだし、
金持っているよーな日本人は逆に日本には興味なさそーだし。毒笑。

なんとなんと、
こちらの天守は木造で再建されたそーです。
えーっと・・・平成16年だそーです。
江戸時代の設計図、資料なども遺っていたため、まさに当時の姿を木造で復活させることができたそーです。
スゲーなー。



ただし、階段だけはどーなっていたか、わからんかったらしいです。
まー、当然階段っつーのは常設ではなかったんだろーしー・・・
(戦になれば、外される=敵が上階にのぼってこないよーにね)
各地方の遺構を参考に「こーだったんだろー」という形で再現されているそーです・・・が・・・汗。
どーなんだろ・・・汗。

まー、
各地で、今、
観光資源として、城の再現・復元が話題になっているが・・・
問題は資金とともに、
その再現する姿についてですね。汗。
いわゆる100%、昔のママにするか、どーか? っつーね。汗。
もちろん建築基準法との兼ね合いもあるのでしょーが、
バリアフリーというか、段差・階段などの問題ですねー。汗。
当然、昔の「城」ですからー、
だいたい坂道を登っていったところにあるわけですよー。城っつーのは。
しかも天守の中は階層になっていて、
階段を登らなくてはいけない。
階段たって、昔の階段ですから・・・ワシの感覚ですと「ハシゴ」に近い。
45度どころじゃない、50度? 60度? そういう階段ですので、天井からぶら下げた縄(綱)に縋りながらよじ登るカンジなのですわー。
若い人でも、ケッコー、厳しいと思う。汗。
それこそ、落ちてケガでもしたら大ゴトですわー。
だもんで、高齢者・障がい者などには・・・~ですよねー。誰でも利用できるわけではない、楽しめるわけではない・・・
となると、
資金面から考えると、当然税金の投入というのも考えられるのですが・・・
「税金」で再現・復元となると、
その「公共性」はどーなるんかー?? ってことになるんです。
「公共性」・・・誰もが利用できる、誰もが楽しめるものである、っつーね・・・最大公約数的な、ね汗。

坂道を登っていく登城路はわりとアスファルトで舗装され、車などでかなり上まで行けるお城は多いのですが、
(再現性として、登場路:王手道についてはあまり問題視されることはない・・・なぜかね・・・汗)
じゃー、
天守閣はどーする? となる。
公共性・バリアフリーを考えれば、
エレベータなどを設置すれば、高齢者・障がいのある方でも上層まで行くことは可能になります。
でも、それって「再現・復元」ですか? という話になりますねー。
江戸時代にエレベータはありません。そりゃーそーだ。汗。
んなことは誰でもわかりそーですが、
エレベーターを設置したら、再現性の上から歴史的価値はなくなりますよー、ということになる。
それじゃーシンデレラ城と同じですわー、と、
もめるわけですわー。
(シンデレラ城って、登れるの? ワシは知らん汗)

ワシ的には、
「再現・復元」と「利便性:公共性」をしっかり区別して、
エレベータをつけたらええんちゃう派なんですが・・・。汗。
だって、「再現・復元」なんだから、
歴史的価値っつーたってねー・・・汗。
それを観て、体験・経験してこそ、「再現・復元」に価値があるわけですから・・・。
特定の人(高齢者や障がい者など)が観れない・体験・経験できない「再現・復元」に意味なんてありますかー? って。
おじいちゃん、おばあちゃんにも、
見せてあげたいじゃないですかー。天守からの眺めとかをねー。
お城に家族で行って、おじいちゃん、おばあちゃんだけ「下で待っててねー」なんて・・・そりゃー、ダメでしょー汗。

あ、でも、
これはワシの意見であって、
(ワシの意見なんて、どーでもよいとは思うが・・・汗)
こーでなければ、ならない、っつーことではありませんから。汗汗。
ワシはこー思うのであって・・・、
100%昔のママでなければならない、っつーのも一つの意見ですからね。
公共性という面から考えてみても、
むしろ「100%昔のママ」の方が話題(ニュース)になるし→
となると、観光客は増える→
観光客が増えればその受益者は地域の中でも広い範囲で増やすことができますものね・・・となれば→
充分、公共性はあると言えるでしょー。皆様が潤えば。汗。
そして、
それが、その地域の皆様の多数の意見であるならば、そーなされば良いことだと思います。汗。
だって、お城はその地域の皆様のモノですからね。
お城をどのよーに観せたい、観せたくない、
誰に観せたい、観せたくない、はその人たちで決めていただければ良いと思いますよー。汗。
関係のない人間がとやかく言うことじゃないですもんねー。汗。
ま、ワシのような、そーいう意見もあるっつー、ことを踏まえていただいて、
それでも100%「再現・復元」にこだわる、っつーのであるならば、それはそれでアリだと思いますよ。
それだけの話ですよー。汗。
ですので、
大洲城の天守の「再現・復元」は素晴らしい事業だと思いますよ!! そこはハッキリそー思います!! 汗。

ただし、
逆に言えば、
12ある現存天守といわれるお城・天守にエレベータなどの手を加えることはダメだと思います。
そりゃー、しゃーない。
だって、昔から「なかったんですからー」笑。
昔のママに遺すことに意味・意義があるわけで、ね。
今までそーやって遺ってきたものを、「今の」人だけで決めるわけにはいかないと思うんですよー。
「未来の」人にも「現存天守」の魅力を楽しんでもらわなければなりません。汗。
(逆に「再現・復元」は「その都度」その時代その時代で何度でもできる)
その意味では、
こちらはその地域の皆様だけでは決められないことなのかも知れませんね・・・
歴史的遺産ですから・・・汗汗。

まあ、いい・・・汗。
またグダグダと・・・汗。



こちらの天守の階段の途中にこのよーな・・・笑。
素晴らしいユーモア。
これくらいのウィットやユーモアがなければ、
事は前に進みません。(?)笑。



こちらの櫓は「再現・復元」ではなく、
江戸時代の現存だそーです。
江戸後期・安政・万延年間のモノのよーですねー。
いわゆる幕末のドタバタしてた時ですなー。
その時期に建て替えられた、っつーのは・・・やはり、「戦時」を意識しだしていたっつーことなんでしょーかー・・・(?)

明治維新時の廃城令の際にも、
当時の城下の皆様はお城を遺したそーですから、
平成の「再現・復元」を実現されたこともあわせて考えると、
城への愛着というか、プライドを感じますね。





城内にありました築城の様子。
築城・・・おそらく藤堂高虎による改修時(実質築城でしょー汗)をイメージされているでしょーかねー。
文禄・慶長期ですかねー。



すごくね?? 笑。
怖いもの知らず、
命知らずですなー。笑。



なんとか、見学だけはさせていただきました。
妄想を膨らませるには、ちょっと時間が足りませんでしたが笑汗、
それは仕方がない。
あらためて感謝申し上げます。



お?



井戸ですかねー。



奥御殿跡地になにかありますね・・・
時間がなくて訪れられないのは無念です。



なにか、工事中。
まだまだ「再現・復元」、やる気マンマンなんですねー笑。



こちらは宿泊施設。
ちょっと外から覗くと汗、
やはり外国人の姿が・・・。
そーですね、こーして観光資源の最大化を計っていく。
素晴らしいことです。汗。

ご城下をいろいろと散策したかったが、
時間がない。
残念でたまらないなー。
いろいろ風情が遺っているよーですのにねー・・・。

渡辺勘兵衛(了の方ね)の屋敷だったという臥龍山荘や・・・
中江藤樹の邸跡とかね・・・。
(あ! 二人とも江州の出身だ・・・)
江戸時代の世界史的な特徴として、
知識人と言われる人たちがこーした各地方にいた、ということが言われているんですよねー
(世界史的には、そーいったインテリはだいたい首都などの大都市に集中する)
んまー、
幕末+四国っつーと、一般的に坂本龍馬が超有名だけど、
「龍馬(竜馬)の真実」は別として、
彼のような人物が四国、あるいは地方から出てくるというのは、こういった土壌があるんでしょーねー・・・・

おっと、
また話が終わらなくなるので、これくらいで・・・



マツ山に帰ってまいりました。



賑わってます。
元気だなーマツ山。笑。



ウマ!
なんとか、やりきりましたカナ・・・。ワシ。
まー・・・それでヨシとしましょー・・・。