こんにちは。木村聡子です。
わたしは若い頃、極度の人間不信でした。笑
あまりにも、傷つくことが多すぎて人生に絶望していた時代が長かったのです^^;。
(拗ねて「人生は辛いものだ」と、決めつけていた)
そんなわたしが、今お仕事で人間関係や人生を改善するお手伝いをしているのですから♪人生って、本当に楽しいですよね。

以下、過去記事の再アップです。
きょうは日本中が、寒かったみたいですね^^
冬の寒さは、植物が地中まで深く、根をはる手伝いを、してくれるそうですよ。
この気温にも、恵みがあります。
生きて、寒さを感じられていることにも、感謝をしてみましょう。
冬きたりなば、春とおからじ。
あなたにも新しい芽吹きの、準備が、整ってきていますよね。
●むかしは、目をつむって、手探りでさまよっていたような日々でしたよ
いまでこそ、こんなふうに、大好きなことを仕事にしたり。
楽しく、自由な毎日を、過ごしているわたしですが。
ほんの数年前までは、まったく逆の生活を、送っていました。
他人のことも、まったく信じなかったし。 いつも、不平不満だらけで。
感謝の気持ちなんて、ほとんど感じることが、ありませんでした。
どちらかというと「感謝するようなことが、起きれば、わたしだって感謝するのに!」と、周りの人を責めて、怒っていました!(笑)
そんなわたしが、人を信じられるようになった、きっかけがあったことを、突然思い出したので。
ちょっと書いてみますね。
●Y主任の、背中
もう10年ほど、前になります。
当時、パート従業員として働いていた神戸の会社で、業務中に階段でころんで。
膝を、骨折してしまったのですね。
だいじょうぶだと思ったのに、痛くて、歩けなくて。
職場から、病院には、上司のKさん(女性)が連れて行ってくれました。Y主任(男性)が(ちょっとこわもて)、車を運転してくれます。
骨折の診断がおりて。 病院から、松葉杖を支給され。
ひとりぐらしをしていた、アパートまで、そのままKさんとY主任が、送ってくださいました。
そのアパートは、階段のみの、4階建て。わたしは4階に、住んでいました。
当時、とてもすさんだ生活をしていたので、Kさんが「部屋まで送ってあげる」と、言ってくれても。とてもじゃないけど、見せられないのです。
木村「そんな!いいですー」と、1階で、必死で拒絶して。
松葉杖のまま、ひとりでなんとか階段を、上まであがろうとしていました。
「それくらい、自分でできる!」と、思っていましたし。「他人に迷惑を、かけてはイケナイ!」と、思い込んでいましたから。
でもね。
階段が、あがれないのです。 なにしろ、松葉杖なので。
1段、あがるのにも、そうとう時間がかかりました。
「あー。 これを、4階まで続けるのか・・。たいへんだなぁ><。」と、思った瞬間。
Y主任が「木村、おぶされ!!」と、わたしの前に、かがんでくださいました。
「そんな!いいです。自分で・・」と、意固地になるわたしに、Kさんも
「木村さん、おんぶ、してもらいー」と、声をかけてくださいました。
Y主任は、さきほども書いたとおり、こわもてで。
かなり体格のよい方だったので、わたしは内心、ちょっと、苦手だと思っていました。
しかも、腰痛もちで(椎間板ヘルニアだそうです)。 いつも、「腰がいたい!」と、なげいている方でした。
Y主任は、自分の体重を支えるだけでも、腰に負担がかかるような方だったのに。
腰痛の方が、階段をあがるのって、とてもつらいのに。
わたしをおぶって、そのまま4階まで、階段をあがってくださいました。
汗を、いっぱいかきながら。
わたしは、Y主任を、苦手だと思っていた、自分が恥ずかしくなりました。
4階に到着し、部屋の鍵をKさんが、開けてくださいました。 部屋には、ろくな家具もなく。
ほこりだらけです。
流しに溜まっている、数日分もの食器を見て。Kさんが「木村さん、こんなこと、してちゃいけんよー!」と、叱りながら、洗ってくれました。
Y主任は、遠慮されたのか、部屋のドアの外で、待っていてくれました。
この時の経験を思うと、いまでも、目頭があつくなってしまいます。どんなに恩知らずな、思い上がった、わたしだったことでしょう。
ものすごく、恥ずかしかったけど。
赤の他人である、わたしのために。こんなにまで、してくださる方がいる。
そう思ったら、うれしくて、ありがたくて。涙が出てきました。
けっきょく、Kさんの配慮なのか、ひとり暮らしのわたしを、放っておくわけにいかない。ということになったそうで、翌日、入院することになりました。
また、会社から、KさんとY主任が迎えに来てくださり。
くだりの階段も、Y主任が、おんぶして。わたしを下ろしてくださいました。
このときを、きっかけに。
わたしは「人様の、ご厚意を受けとる」という意識を、持てるように、なりました。
それまでは、とにかく 拒絶、拒絶、拒絶! 自分が、すべて正しい。と思っていましたし。
「ひとりでできる」ことが、立派だと、思っていました。
(実際は、なにもできていなかったのにね^^)
Y主任と、Kさんの、優しさにふれて。 自分の、間違いに気づきました。
10年前におぶっていただいた、Y主任の、まるくて暖かく大きな背中を。
いまでも、思い出します。
冬の寒さは、植物が地中まで深く、根をはる手伝いを、してくれるそうですよ。
この気温にも、恵みがあります。
生きて、寒さを感じられていることにも、感謝をしてみましょう。
冬きたりなば、春とおからじ。
あなたにも新しい芽吹きの、準備が、整ってきていますよね。
●むかしは、目をつむって、手探りでさまよっていたような日々でしたよ
いまでこそ、こんなふうに、大好きなことを仕事にしたり。
楽しく、自由な毎日を、過ごしているわたしですが。
ほんの数年前までは、まったく逆の生活を、送っていました。
他人のことも、まったく信じなかったし。 いつも、不平不満だらけで。
感謝の気持ちなんて、ほとんど感じることが、ありませんでした。
どちらかというと「感謝するようなことが、起きれば、わたしだって感謝するのに!」と、周りの人を責めて、怒っていました!(笑)
そんなわたしが、人を信じられるようになった、きっかけがあったことを、突然思い出したので。
ちょっと書いてみますね。
●Y主任の、背中
もう10年ほど、前になります。
当時、パート従業員として働いていた神戸の会社で、業務中に階段でころんで。
膝を、骨折してしまったのですね。
だいじょうぶだと思ったのに、痛くて、歩けなくて。
職場から、病院には、上司のKさん(女性)が連れて行ってくれました。Y主任(男性)が(ちょっとこわもて)、車を運転してくれます。
骨折の診断がおりて。 病院から、松葉杖を支給され。
ひとりぐらしをしていた、アパートまで、そのままKさんとY主任が、送ってくださいました。
そのアパートは、階段のみの、4階建て。わたしは4階に、住んでいました。
当時、とてもすさんだ生活をしていたので、Kさんが「部屋まで送ってあげる」と、言ってくれても。とてもじゃないけど、見せられないのです。
木村「そんな!いいですー」と、1階で、必死で拒絶して。
松葉杖のまま、ひとりでなんとか階段を、上まであがろうとしていました。
「それくらい、自分でできる!」と、思っていましたし。「他人に迷惑を、かけてはイケナイ!」と、思い込んでいましたから。
でもね。
階段が、あがれないのです。 なにしろ、松葉杖なので。
1段、あがるのにも、そうとう時間がかかりました。
「あー。 これを、4階まで続けるのか・・。たいへんだなぁ><。」と、思った瞬間。
Y主任が「木村、おぶされ!!」と、わたしの前に、かがんでくださいました。
「そんな!いいです。自分で・・」と、意固地になるわたしに、Kさんも
「木村さん、おんぶ、してもらいー」と、声をかけてくださいました。
Y主任は、さきほども書いたとおり、こわもてで。
かなり体格のよい方だったので、わたしは内心、ちょっと、苦手だと思っていました。
しかも、腰痛もちで(椎間板ヘルニアだそうです)。 いつも、「腰がいたい!」と、なげいている方でした。
Y主任は、自分の体重を支えるだけでも、腰に負担がかかるような方だったのに。
腰痛の方が、階段をあがるのって、とてもつらいのに。
わたしをおぶって、そのまま4階まで、階段をあがってくださいました。
汗を、いっぱいかきながら。
わたしは、Y主任を、苦手だと思っていた、自分が恥ずかしくなりました。
4階に到着し、部屋の鍵をKさんが、開けてくださいました。 部屋には、ろくな家具もなく。
ほこりだらけです。
流しに溜まっている、数日分もの食器を見て。Kさんが「木村さん、こんなこと、してちゃいけんよー!」と、叱りながら、洗ってくれました。
Y主任は、遠慮されたのか、部屋のドアの外で、待っていてくれました。
この時の経験を思うと、いまでも、目頭があつくなってしまいます。どんなに恩知らずな、思い上がった、わたしだったことでしょう。
ものすごく、恥ずかしかったけど。
赤の他人である、わたしのために。こんなにまで、してくださる方がいる。
そう思ったら、うれしくて、ありがたくて。涙が出てきました。
けっきょく、Kさんの配慮なのか、ひとり暮らしのわたしを、放っておくわけにいかない。ということになったそうで、翌日、入院することになりました。
また、会社から、KさんとY主任が迎えに来てくださり。
くだりの階段も、Y主任が、おんぶして。わたしを下ろしてくださいました。
このときを、きっかけに。
わたしは「人様の、ご厚意を受けとる」という意識を、持てるように、なりました。
それまでは、とにかく 拒絶、拒絶、拒絶! 自分が、すべて正しい。と思っていましたし。
「ひとりでできる」ことが、立派だと、思っていました。
(実際は、なにもできていなかったのにね^^)
Y主任と、Kさんの、優しさにふれて。 自分の、間違いに気づきました。
10年前におぶっていただいた、Y主任の、まるくて暖かく大きな背中を。
いまでも、思い出します。
ご参考までに^^。



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