かつて日本列島の生成期に作られた中央構造線。その断層は脆く崩れやすい破砕帯となり、雨水河川に侵食され谷が形成された。その谷を流れる天竜川に沿うようにやがて道が造られ人々の交易が始まった。

 開かずの国道152号線とは、そんなところに造られた国道だったのかと、想像しながら遠山郷を走ること暫し。


ちょっと寄り道をしてみよう。

下栗の里に立ち寄る
南アルプスの山々を望む


展望台からは、38度の傾斜地に造られた村を見渡せる。
何故人々は、ここで暮らすことを選択したのか、或いはそうせざるを得なかったか。

152号に戻る。
この先は大鹿村だが。
現れたのは第二の分断地点。
崩落のため当分の間とある。
見通しが立たないのか。



ここからは、右に行けば蛇洞林道となり、しらびそ高原を経て分断先の大鹿村に抜けるが、現在は冬期通行止めだという。


ならばと左に道をとり飯田市内にでる。

失意のまま
今夜のキャンプ地、千人塚公園キャンプ場で初日を終えた。

夜、寒さに寒暖計を見ればマイナス6度を指している。テントの中の結露からツララが垂れた。
翌朝、中央アルプスを臨む。
テント場まではコロコロを貸してくれる。


分断先の村、大鹿村を再び目指す。
が…ここでも。


迂回路をとり大鹿村へ
このあたりまで来ると国道の標識もうら寂しい。
道も寂しい。
まさしく酷道。
何とか大鹿村に着いて食事をとる。
鹿のジンギスカンだ。

国道152号は、大鹿村から先は高遠に進むが又もや。
あな恐ろしや陸の孤島大鹿。
東は赤石山脈、南は寸断国道、北は冬期閉鎖。
来た道を西に戻るしかない。

すったもんだで18号線から高遠に抜け、しつこく152号へと戻りもうへとへと。
ヤケになり名物蕎麦を喰らう。
クルミの汁と大根汁のかえしが美味でした。

高遠からは、恐怖の塩カル蒔き散らしのつづら折り坂道を降って茅野に到着。

分断酷道152号線の旅は、3度の迂回を余儀なくされるも、意地で任務遂行できました。

当初、二泊三日を予定していたが、一泊二日で終了とし、中央高速、中部横断道を使い清水に到着。

今回も最後に残った思いはただ一つ。

「ツーリングは修行だ」