遠距離ツーリングに行くと、1日に何百キロと移動することがある。
 三百や四百といった距離で、ちょっと尻が痛くなったかな程度であれば、左右にずらしたり前後にずらして、座面に当たる位置を変えることで当座を凌ぐのだが、六百七百となると尻だけでは済まなくなる。
 首の付け根がヘルメットの重みに耐えかねて悲鳴をあげる。アクセルを握り続ける右手の手首が痛む。
ヘルメットのなかで左右から挟まれ続けている耳たぶが鬱血する。更に長時間の風を受けて冷やされた関節が軋んで痛くなる。
 はたからみると快晴の空の下を爽快に走るライダーも、ヘルメットの中の顔は案外満身創痍だったりするものです。
 しかし目指す目的地は遙か先、残り三百キロを走らなければならない。 

「もうどれくらい走っただろうか。それまで降りつづいた雨が止み、太陽の光が幾重も雲の間から降り差してきた。すると突然シールドから見える空いっぱいに大きな虹が現れ、一方の端は左の遙か先の森に消え、もう一方は前方のアスファルトのまだ乾ききらない路面を七色に照らしている。私はアクセルを強くひねるとバイクを加速させた。あのなないろの虹の向こうに行くために」(小説の引用です。)
 
 そんなとき、何かをきっかけに頭と体が覚醒することがある。
 ライダースハイだ。
 それは突然目の前に絶景が広がった時や、残りあと何十キロで到着といった時に起こるような気がする。
 と、ここまで書いてふと考えた。
 ひょっとしたら私はそんな感覚を求めて旅に出ているのかもしれない。
 登山家の「そこに山があるから」という言葉にあてはめれば、バイク乗りが走るのは「そこに道があるから」といえるのではないか。
 ツーリングの道程が厳しければ厳しいほど、更にまた行きたくなるのもまあ致し方あるまい。なぁ。