そろそろ、ソロ活

そろそろ、ソロ活

人生100年時代。
人生後半をより気ままに楽しく生きるために、ゆるりとソロ活

 

午後からの自由参加のアクティビティとして、13時から日替わりの仏教体験が行われます。

 

この日のメニューは『枯山水線引き体験』

 

本堂の前にある枯山水の庭に実際に線を引いてみる、という内容です。

 

 



まずは副住職によるお庭の説明から。

 

京都の建仁寺や高台寺などの庭園も手掛けた「平成の小堀遠州」と称される北山安夫氏によるお庭で、「無量寿庭」という銘がついているんだそう。

 

 



そしていよいよ、実際の線引き体験です。

 

最初にお庭の真ん中に通っている小道に沿って、真っすぐな線を引く練習。

 

運動場などをならずトンボに歯が付いたような道具を引きずって線を描いていくのですが、結構大きくて重たいのにビックリでした。

 

 

次に一人ずつ、円を描かせてもらいます。

 

「真ん中の一番小さい円に集中してください。中心を決めて、その周りにできるだけ小さな円を描くイメージで。」

 

と副住職の説明がありましたが、真っすぐ線を引くのに比べるとかなり難易度が上がります。

 

 

中心の一点を決めてその周りに円を描くだけなのに、なぜか微妙にズレてしまいそうになる。

 

修正しようにも、既に引いてしまった線は取り消せないので、最後まで描き切るしかありません。

 

中には楕円になったり、ナルトみたいに最後が繋がらない形になる方もいるんだそう。

 

 



四苦八苦しながら私が描いた円が、コチラ。

 

ギリギリ円にはなったけれど、「中心が少し大きすぎるなぁ」と途中から見ていたご住職に指摘されました。

 

む、難しい...!

 

 

キリスト教思想家として有名な内村鑑三は、「心理は円形にあらず、楕円形である」という言葉を残しているそうです。

 

これは、真理は固定的なものではなく、2つの中心(焦点)を持つ動的で歪なものであることを表現しているんだとか。

 

そう考えれば、石庭の円も真円ではなく多少楕円の方が仏教的な思想には合っているのかも?!

 

朝のお勤め終了後、夕食までは基本的に自由時間。

 

昼食がないので、9時間ほど全くフリーとなります。

 

この時間を利用して、外出してもいいし、施設内で専属トレーナーによる整体やパーソナルトレーニングを受けることも可能(有料)。

 

 

私はこの一日しか自由時間がなかったので、あまりあくせくしたくないと思い、午前中に30分間の酸素カプセルだけ申し込んでおきました。

 

酸素カプセル、色々なところで見聞きしたことはあったのですが、体験するのはこれが初めて。

 

一体どんなものなのか、興味津々です。

 

 



時間になったので、禅堂の2階にあるトレーニングルームへ。

 

トレーナーさんに説明を聞き、人ひとりが横になって寝れるくらいの大きさのカプセルに入り、扉を閉めてスタート。

 

 

ところで、酸素カプセルの仕組みを私はこの時初めて知ったのですが、カプセル内の気圧を上げることで血液や体液に溶け込む「溶解型酸素」の量を増やすんだとか。

 

なので、事前にも説明された通り、気圧が上がっていく段階で飛行機の離陸時のような耳鳴りが生じます。

 

私は普段飛行機に乗っても平気なので大丈夫でしたが、耳抜きしにくい体質の方には逆に辛いかも?と思いました。

 

 


 (カプセル内からの眺め(笑))


なんとなくウトウトしていたら、設定の30分のコースがあっという間に終了。

 

終わった後、何かが劇的に変わった訳でもなく...。

 

まぁ、なるほど酸素カプセルとあこういうものか、と体感できたことでヨシとしましょう。

 

 



その後はお部屋に戻り、ドリンクサーバーでいただいたハーブティーなど飲みながら読書三昧。

 

自宅から本も持ってきていたのですが、禅堂に手塚治虫の『ブッダ』が全巻揃っていたので、読んでみることに。

 

残念ながら滞在中には10巻までしか読めなかったのですが、ブッダの若かりし頃の苦悩やどのように悟りを開いたのかが分かりやすく描かれていて、とてもおもしろかったです。

 

 



それにしてもこの『ブッダ』、1972年から1983年まで連載されていたそうなので、今から4、50年以上前の作品ということに。

 

なのに今読んでもほぼ違和感がなく、スーッと作品の世界に没頭できる。

 

やはり手塚治虫は天才だったんだなぁ、と実感しました。

 

 

 

 

 

禅寺の朝は早く、6時半に本堂での読経から一日がスタートします。

 

6時15分に禅堂の広間に集合することになっていたため、5時半にアラームをセット。

 

 

 

 

湖と森、遠くの街並み

 

ただ、前日22時過ぎには寝てしまったせいか、5時前に自然に目が覚めて。

 

お白湯をゆっくりいただきながら、何もしない贅沢を味わいました。

 

 

 

 

朝課のご供養・ご祈祷依頼紙

 

朝のお勤めの際は、各自一日ひとつ、御祈祷をしていただくことができます。

 

先祖供養、家内安全、健康祈願など、内容はいろいろ。

 

私は初日は「家内安全」、翌日は「健康祈願」にしておきました。

 

 

 

 

禅寺の受付と本堂の様子

 

本堂に集い、ご住職の指導の下、全員で般若心経を唱えます。

 

この際、教本は目の高さにしっかりと上げて左右の手の指をまっすぐ揃えて持つこと、など細かい作法が。

 

また、読経は叫ぶくらいの大声が望ましいらしく、何度か「声が小さい!」とご住職の指導が入りました。

 

 

大人になると日常生活の中で、一挙手一投足を「見られる」、そして間違っていたら「訂正される」ことは、ほぼありません。

 

それだけに、ご住職の注意に皆がピリッとします。

 

身も心も引き締まる、とはまさにこのことだな、と。

 

 

禅寺の庭園、滝と池のある静けさ

 

お勤めの後は、再び坐禅。

 

今回はお庭の滝が見える廊下に座ってみることに。

 

 

外の方が水音を聞いて集中できるかと思ったのですが、つい池の鯉の動きに気が取られてしまい...。

 

雑念を取り払うって、本当に難しい!

 

 

坐禅後は大広間ではちみつ入りのお湯に梅干を入れた梅湯をいただき、ご住職の説法を聞きます。

 

この日のお話は、「ウサギと亀」について。

 

 

なんでも「ウサギと亀」の昔話は世界の各地で伝わっているそうなのですが、少しずつ内容が違うんだとか。

 

例えば、亀には実はそっくりな親族(あるいは兄弟)がいて、ウサギがゴールする寸前で、少し手前に隠れていた親戚(兄弟)が出てきて最終的に亀が勝った、など。

 

このストーリーだと、亀はズル賢いってことになりますよね。

 

 

面白いのはインドで、ストーリー自体は日本と同じく、もうこれは勝つことは確定したと油断したウサギが居眠りしてしまい、その隙に亀がゴールするというもの。

 

ところが、解釈が全然違う。

 

「なぜ亀はウサギを起こしてあげなかったのか」と、不親切な亀を責め、友情や助け合いの大切さを教えるんだそうです。

 

 

「どれが正しいとか、どれが間違っているとかいうことではありません。

 

自分とは違っていても、そういう考えもあるのか、と思っておけばいいだけのこと。」

 

ご住職の言葉に、深く頷かされました。

 

 

また、「嫌な人、というのは存在しない。自分が嫌だな、と思っているだけ。」というお言葉も、強く心に残っています。

 

つまり、人もモノも出来事も、ただそこにあるだけ。

 

それを嫌だと思うか、嬉しいと思うかは、その人の心次第、ということです。

 

 

もちろん、全ての人や物事に対してポジティブな感情を持つことは無理でしょう。

 

でも、心のありようでより穏やかに暮らすことはできるかもしれない。

 

イラッとしたらご住職の言葉を思い出して、心の平安を取り戻すように心がけたいと思います。


食事が終わって一息ついたあとは、夜の坐禅の時間。

 

これは全員が参加するプログラムで、スタッフの方の先導で禅堂を出て本堂へ。

 

 



坐禅は室内でもいいし、庭に面した外廊下で行うこともできます。

 

私は初めてで勝手がわからなかったので、とりあえず多くの人と同じように広間に座ることにしました。

 

 

坐布(坐禅用の座布団)を持ち、割り当てられた畳の中央に座ります。

 

座り方はあらかじめ入門書を読み、さらにお寺についてすぐに渡されたタブレットの解説で予習済み。

 

コツとしては、座骨を坐布にしっかりと据えて胡坐の形を取り、両膝を床について3点で身体を支えることらしい。

 

 

これが言うは易く行うは難しで....。

 

まず、両膝が同じように床に着く位置を探すのが大変。

 

さらに、座骨と両膝で均等に体重を支えるためのバランスが分からず、四苦八苦。

 

 

それでもなんとか自分の中では限りなく均等に近い形で落ち着き、背筋を伸ばして座ります。

 

「目は閉じず、真正面または2つほど先の畳の縁を見るように」とのこと。

 

両手は円を描くように重ね、胡坐をかいた足の間に自然に置きます。

 

 

広間の電気が消され、薄暗がりの中でいよいよ坐禅開始。

 

まずは自分の呼吸に集中するように、と入門書には解説されていました。

 

そのためには、ゆっくり息を吐いて吸うを繰り返し、吐く息を一つ、二つ...と十まで数えるとよいそうです。

 

 

早速やってみたのですが、これまた意外にも難しい。

 

3くらいまではしっかり集中できるのですが、5くらいから意識が別の方に向かいそうになる。

 

 

あ、外を車が通った、とか、ご住職が後ろを歩いた、とか。

 

外部からのどうでもいい些細な情報を、脳が自然に拾ってしまうのです。

 

 

さらに時が経つにつれ、坐禅の大敵である足のしびれが襲ってきます。

 

こうなると、もう数を数えるどころの騒ぎではありません。

 

呼吸も浅くなるし、とにかく「あとどれくらい?!」ということばかりが頭を占めてしまい、まったく集中できませんでした。

 

 

たった十回、自分の呼吸に集中して数える。

 

それだけのことができないだなんて...。

 

自分の雑念の多さと集中力の弱さに、愕然とする思いでした。

 

 

坐禅の後は、そのまま広間で夜のストレッチ。

 

この龍雲寺に専属で在中しているトレーナーさんが、丁寧に教えてくださいます。

 

簡単な動きをゆっくり行うことで、身体がほぐれてとても気持ちよかったです。

 

 

その後は禅堂に戻り、各自就寝まで自室で過ごします。

 

私は慣れない体験で疲れたのか、お風呂に入ったらすぐに眠たくなり、10時過ぎにはお布団の中へ。

 

そのまま朝まで夢も見ずにグッスリでした。

部屋で荷解きをし、しばらくくつろいでいると、「夕食の時間です」という館内放送が。

 

こちらの施設ではすべての行動が、時間厳守。

 

いちいちアラームをかけておかなくてはならないかもと心配したのですが、こうして放送で時間を教えてくれるので、助かりました。

 

 

参加者全員が広間に集合し、スタッフの方から食事の心得を聞きます。

 

禅寺での食事は修行の一つのため、黙食すること。

 

姿勢は背筋を伸ばして座り、前かがみにならず、食器類はすべて口元まで持ちあげる、などなど。

 

 

面白いしきたりとしては、「生飯(さば)」といって、食事の前に飢えたものへの施しを行う儀式がありました。

 

食べ始める前にご飯を3粒程度箸でつまみ上げ、それを反対の手のひらの上で時計回りに3周回します。

 

その後、お膳の縁にその米粒を置いて供える。

 

参加者が置いた生飯は、食事の後スタッフの方が集めて、鳥にエサとして外にまくんだそうです。

 

 



そして待ちに待ったこの日の夕食は、こちら。

 

浜松市内の『じねん』という日本料理屋さんの精進料理です。

 

スタッフの方によると、天皇陛下が浜松にお越しの際にお料理を提供した料理人さんが監修したんだとか。

 

 



精進料理なので、当然のことながら動物性のものは一切入っていません。

 

それなのに、ひとつひとつのお料理がとてつもなく味わい深くて。

 

 

姿勢を正し、音を立てないようにしようとすると、食べ物を口に運ぶ動作も丁寧にゆっくりと行う必要があります。


そうすると自然に、一口一口をよく噛んで味わうことに。



また、黙食することで味蕾の感覚が研ぎ澄まされていくのも、新鮮な感覚でした。

 

玉ねぎの甘味、小松菜のほろ苦さ、三つ葉の香りなど。


普段なら一瞬で消えていくような風味や味わいが、口の中いっぱいに広がります。



そしてお米の甘いことと言ったら…!


普段、お菓子などの甘いものをしょっちゅう口にしているため、甘味に対する感覚が鈍くなっていたのでしょう。


それが半日何も食べなかったことで、舌の感覚がリセットされたんだと思います。


甘みだけでなく、塩味、旨みなど全ての味が鮮やかに感じられたのには、本当にビックリしました。



目の前にある一つ一つの食べものに感謝し、ゆっくりと丁寧に味わう。


こんな基本的なことですら、慌ただしい日常の中で忘れてしまっていたことに改めて気がつかされました。