「翔んで埼玉」という映画が上映されていて、話題になっています。漫画パタリロの作者が原作者です。
映画が出来るずっと前から、ださいたまという言葉があるように、さいたまというと田舎っぽいイメージはありました。
しかし、私はよく考えてあることを思いつきました。
それは、明治の新政府が薩長土肥の藩閥政治だったことです。
そのことは今でも尾を引いています。なぜなら、安倍首相は山口県出身で、麻生財務大臣は土佐の吉田茂の孫。
明治維新に徳川は薩長土肥に追われて埼玉や東京以北に追いやられたわけです。
現に勝海舟は埼玉まで逃げたそうです。
埼玉の川越には立派な川越藩がありました。
東京の上半分にはまだ幕府側に着いた武士がいました。東北にも幕府側の武士がいたわけです。会津の白虎隊のように。
西郷隆盛像が上野にありますが、あれは薩長が東北の徳川側に睨みを効かせているように思えます。西郷隆盛はリベラルだったかもしれませんが、像を建てた人は薩摩の人ですから。
一方、勝海舟の像はというと、平成15年になって墨田区役所前にに建てられたのです!!
つまり、薩長土肥の新政府が、欧米と結びついて文明開化というきらびやかなイメージを創って行ったのです。そして彼らは主に、東京の下半分と、神奈川に住んだわけですよ。
私は学生の時、鎌倉に遊びに行ったことがあります。その時、湘南藤沢に凄い豪邸街があって、そのあたりの表札が皆「島津」だったのを覚えています。
そうです。凄いのは東横線です。
最近、東京の上半分とさいたま、下半分と神奈川の格差を感じたのは、さいたま国際マラソンと横浜マラソンでした。
横浜マラソンは抽選がありますが、さいたま国際マラソンには抽選はありませんからね。
ということで、今流行のチコちゃん風に言うと、
「埼玉と神奈川のイメージの格差は薩長土肥の藩閥政治から始まったことを知らずに、ださいたまと言ってさいたまを馬鹿にしている東京在住の田舎者の多いいことよ」
上野の西郷隆盛像
高村光雲作
1898年、薩摩出身者により建てられた。
勝海舟像
2003年、墨田区民により、墨田区役所前に建てられた。