>> p30 近年、摂食症の診断のつく人の割合に大きな変化はないが、予備軍は確実に増え、すそ野は日々広がっているといわれている。(中略) 自分というものをちょっと脇に置き、隣の人と自然に触れ合うことができれば、何かが変わるかもしれない。摂食症は、人と人が一緒に暮らしていくための原点を教えてくれているようでもある。
>> p30 現実の母は、本人の抱く理想像には届かない。周囲の人が母の代わりをすることは難しい。しかし、周囲の人が、そのような母不在の根源的不安を紛らわせるために食の問題が続いているのかもしれないと理解し、このことに配慮しながら接するならば、そのこと自体が母不在の不安を少し和らげてくれるものであるにちがいない。回復が始まるのは、そこからである。
>> p29 近年、摂食症の人は実際に虐待的な養育を受けてきた割合が多いことが指摘されている。(中略) 幼少期に身体的・性的虐待経験のある人が成人後に摂食症になる危険性はそうではない人の三、四倍というデータもある。虐待経験とのちの摂食症の関係は濃厚である。
>> p28 しばしば、「本人に治す気がなければ治らない」なんて言葉が聞かれる。病気の理解の乏しい家族が言うならまだしも、医療者が口にすることもあり嘆かわしい限りである。(中略) 「素直に治そうという気持ちをもてない」のがこの病気であり、治療者のエネルギーは、患者の中に隠れている「本当は治りたい」という気持ちをいかに高めるかということに注がれるべきである。
>> 26 摂食症の人はとても繊細で、医者から「治ります」と言われるとそれを励みにがんばれたりするけれど、「治りにくいよ」と言われるとすごく落ち込んで、病院に来られなくなってしまうこともある。摂食症界隈では、あまり治りにくさを強調しないことがよしとされている雰囲気がないでもない。でも、治りにくいのは当の本人がちゃんと自覚している。