ブログネタ種が邪魔な果物
参加中スイカとぶどうです!!
父方の祖父母が趣味で畑をやっていたので、よく、野菜や果物をおやつに出してくれたり、家に持って帰るよう勧められたりしました。
この祖父母の拾の息子に相当する私の父はそれを嫌がっていて、それならそれで、自分で断ればよいものを「面倒くさい」という理由でいつのまにか、祖父母の所で野菜や果物をもらってくるのは、私と弟の仕事になりました。
でも、父方の祖父母の畑では、結構色々なものをやらせてもらったものです。
収穫とか種植えとか、あと海辺だったので、海にわかめを取りに行ったりもしましたね。
残念ながら良いことばかりであったわけではなくて、父方の祖母は、私を性的に虐待した1人なのですが。
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闘病ネタばかりで申し訳ないです。
が、気が変わる前に、私が26年間にわたって受けてきた性的侵害や、
その他の虐待のあらましを書いてしまいます。
(1つ1つの詳しい内容は、ショックを受ける人もいると思うので、アメンバー限定でのみ公開します)
[乳幼児期]
私が泣いて寝付かないという理由で、父が私を抱いて激しく揺さぶった。
揺さぶったら私が目を回して眠るだろうという母の提案によるものだったらしい。
現実には、抱かれている間は泣き止み、ベッドに戻された途端泣き出し、
ほとほと困っていたのだそうだ。
これにより私は「揺さぶられっこ症候群」となった。
[1歳]
父親による性的虐待が始まった。
これは弟が生まれるまで続いた。
[3歳直前頃]
夜中に母親が流産して、
父が付き添って母親は病院に行き、その夜は独り家に放置された。
僅か3歳だったのに…
[3~4歳頃]
弟が生まれ、子どもたちを入浴させるのを母が嫌がったため、
弟と一緒に、父親に入浴させてもらうようになった。
このときから、父親による性虐待の舞台は風呂場に変わった。
[6~8歳辺り]
自動ドアに挟まれて「扉恐怖症」になり、躍起になって太ろうとし始めた。
父親に「お前の体重が軽いからや」と言われてしまったためだ。
同時期、何かの理由で父親に殴られた。
(母の回想録によれば、この時だけではなく何度も殴られていたようだけれども、子供時代ではっきり記憶にあるのはこの時の1回きりだけ。)
殴られた理由については記憶が欠落している。
[10歳]
弟が耳鼻科に入院し、両親ともの付き添いが必須とされたため、家事を叩きこまれて、弟の入院中、1~2週間くらい、自分で家事をしながら一人暮らしをした。(ガスコンロの使用は禁じられていたため、食事をどうしたのかが謎。記憶にもない。)
[12歳]
1/30に骨折一歩手前という酷い捻挫をした。母から散々、捻挫くらいなら歩け、自分はそうしたという言葉を聞かされた。いきつけの外科に通った。そこの医師が母に順々と説明するまで、母は決して納得しなかった。
3/1~3/3の3日間、中学受験のために、大阪から、中学受験をするために通った。初めて自分の目で崩れた家屋などを見た。ビルがあって、線路の方に向かって傾いていたため、そのビルが今にも倒れてきそうで、とても怖かった。
[14歳]
毎日のように痴漢に遭うようになり、過呼吸症候群の症状が出始めた。
[15歳]
中3の秋、文通で知り合った10歳年上の男性と付き合い始めた。12月に初めて肉体経験を持ったが、痛みに殺されそうになって逃げようとし、そのまま意識を失った。
約1年後、同じ男性に引っ掛けられそうになった友人が、その男ははじめから、私の体だかけが目的だったのだと聞かされた。
母親はこの男が体目当ての男だと知っていたらしい、でも全く助けてくれなかった。
結局ストックホルム症候群のようになり、3ヶ月かかって漸く抜けだした。
3月、曾祖母が亡くなった。
曾祖母は親族の中では唯一、stargloryの子供時代を、慈しみ部かく育んでくれた人だった。
高1の春、引っ越したが、新しい家について母親が「ホテルみたいで寂しい」と言い始め、母との間に距離を設けて自室のドアを閉められるようになるまでが大変で、スクールカウンセラーさんの助けがなければ、ドアを閉めることさえできなかった。
[17歳頃]
電車の中で知らない男性が、私の手に男性器を直接擦りつけてきたが、
自分でも気味が悪いほどに何も感じなかった。
周囲の人達に、見て見ぬふりをされていたのが、とてもショックだった。
幼馴染の男性と再会して、交際することになった。
[19歳頃]
アナフィラキシーショックに2度晒された。
アナフィラキシーショックというのはアレルギー反応の1つで、すぐに処置しないと死の危険性がある、僅か
1度目は知らなかったため、母が薬局で相談したところ、「次は絶対に救急車を呼んで下さい」とキツく叱られたそうだ。
が、2度目も救急車を呼んでもらうことはできなかった。
それどころか、私は既に呼吸困難に陥っていたにも関わらず、「stargloryを病院に連れていくべきか」さえなかなか病因に連れていってもらえなかった、勿論救急車を呼んでくれることもなかった。
[20歳]
20歳になったばかりの夏、パソコンを取り上げられた。
返して貰おうとしたところ、話がこじれて、父親が私の首根っこを掴んで壁に激突させた。
私は「あんたにやられなくても自分でやる!」と叫んで、何度も自ら壁に身を投げた。母親が飛んできて止めた。
同時期、幼馴染の男性によるDVが始まった。
[22歳]
今の夫と同棲することになり、一人で住んでいた上京区のアパートから、と引っ越した。
きっかけは覚えていないが、途中から引越し作業に携わらずに、自転車であちこちに行っていた。
[24歳]
大家さんにほぼ無理矢理追い出されるという形で、左京区のアパートに引っ越した。
荷造りが引越し予定日に間に合わなかったのだが、どうしてもその日中に出て行って欲しいと大家さんはいい、保証人であった、私の夫(=当時は婚約者)の母親にさっさと連絡して料金を払う約束をさせ、おまかせコースという、荷造りも業者に手伝って貰う形での引越しとなった。
[26歳]
9月に夫と入籍した。
ただ、入籍直前に、一回くらいは父親と腹を割って話したいと思ったのだが、うまくいかなかった。
父親はイカをさばいている最中で、包丁を持ったまま私の身体を掴んで下がらせ、玄関のドアに激突させた。私が死のうとするから殴る、小さかった時に殴ったのもそのためであって虐待ではないと父親は言った。
なかなか離してもらえなかった。家を出ていくために荷物をまとめたいというと漸く離してもらえた。
母に助けを求めたが「面倒くさい」「あんたのことなのになんで私がやらなあかんの?」と何度も言われた。
この日のことをきっかけに「実家出入り禁止命令」が発令され、私は帰省を許されぬ身となった。
左京区の家からも追い出されて右京区に引っ越した。
このときは、保証人でない私の側の両親も大家さんに呼びつけられ、大変な騒ぎになった。
[27歳]
右京区のアパートからも追い出され、左京区の今の家に引越し、漸く大家さんやら管理人さんやらとの付き合いから解放された。
但し追い出された理由は非常に理不尽なものだったため、この時は詫び状を書かせた。
[時期がわからないもの、少なくとも21歳以降]
両親から猥談を聞かされたり、私がいる所でそういう系の相談?をしたり等のことがあった。
一緒にアダルトビデオを見ないかと誘われたことさえある。
過量服薬をした私に対する、病院側の処置のミスで、誤嚥性肺炎になり入院した。
退院後実家で呼吸困難を起こしたが、救急車を呼ぶことは止められた。
一緒に実家に来ていた夫が激怒。
結局弟の運転する車で病院に駆け込んだ。
夫と共に私の方の実家に帰省していた時、何かで父親の怒りに火がついて私の方へ父親が向かってきた。夫がとっさに止めようとして椅子で道を塞ごうとし、その椅子が父親の顔面をかすって血が流れだした。
母親は人殺しと叫び、父親は私の顔に血を塗りたくって覚えておけといった。
この時が、初めて虐待のことで警察に相談した時になる。
「血まみれの顔」を証拠として交番に駆け込んだ。
交番の人に教えてもらったことだが、母は本気で被害届を出して、私の夫を訴える気でいたらしい。
でも、交番の人がうまくおさめてくれたそうだ。
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これが、現時点で思い出した、虐待の記憶の全てです。
まだもっと思い出して増えるのかも知れませんが、その時は随時更新します。
ここからが大切なことなのですが。
ここに書いたのはあくまでもアウトラインです。
アメンバー限定では1つ1つをもっと詳細に書くことを予定しています。
でも、このブログを読むのさえ辛かったのであれば、アメンバー限定の記事は、読まないことをお勧めします。
「私は読まないほうが良いかもしれない」という方は、お気軽にお知らせ下さい、アメンバーから外すようにしますので。