2021年、今日で終わりなの?
今年はあっという間に感じました。一年間の思い出。とても長くなります。
2/2に妊娠が分かり、つわりは無かったものの、3月まではひどい頭痛とストレスでご飯が食べられませんでした。
最初は妊娠が嫌で、夫に産みたくないと言ったけど、なんでも私のいうことを聞いてくれる夫が、ど
「どうしても産んで欲しい」
と譲りませんでした。
私は夫の前で、産みたくないと言って初めて泣きました。
夫は話を聞いてくれて大泣きする私につられて、一緒に泣いていました。
夫と二人きりで生きて行きたかった。とわんわん泣きました。
それでも譲ってくれませんでしたが、、、。
その時、妊娠する予定がなかったため、胎児に悪影響の出る薬を飲んでいて、すぐ服用は中止になったけど、出産するまでの8ヶ月間ずっと、健康な子を産めないのではとひどく不安に感じていました。
それと双極性障害を抱えながら産んで育てることがとても怖くて、不可能なことにしか思えませんでした。
毎日悩んで苦しかったです。
だけど、流産してしまうことも怖くて、Twitterで同時期妊娠した人が何人も何人も悲しいつぶやきをしてるのを見て、次は私なのかもと怯えていました。
産みたくないけど、いなくなるのもやだ、毎日が葛藤でした。
3/9、ようやく妊娠9週で、心拍が確認できました。
混んでて報告が遅くなり、病院の外で待ってる夫が心配して、ラインをしてきました。
「混んでる?」と夫。
「母子手帳貰いに行こう」と返信しました。
そうしたら、ハリポタのマルフォイのスタンプで
「やったーっ!」と返信が来ました。
正確には
「フォーイ!」
だけど。
珍しく夫が大きく感情を見せた日でした。
嬉しかったのか、会計まで走ってきたようでした。
身体に障害あるのに。
そして、持病があるので当院では見れないので大学病院に紹介状を書きます、ということになりました。
大学病院で、妊娠糖尿病のインスリン注射が始まり、食前にインスリン注射を打って、食後2時間で指先から血糖値を測るという苦行が始まりました。
産婦人科の初めての通院日、流産していたらどうしようと不安になりすぎて、血圧が180まで上がり、もれなく毎日2回血圧測定という、おまけの試練も課せられました。
精神科でようやく、まともな薬を処方してもらうことができて、ボロボロだったメンタルがこれでなんとかなるとホッとしました。
睡眠薬が無いに等しかったので、
「あなたは寝ないとダメなんですよ。前の医師がなんでこれしか処方してないか分かりません」
と言って薬を処方してくれた医師に感謝。
4月になると頭痛は治まり、夫とお花見やチューリップ畑を見に行ったりしました。毎週温泉に入りに行きました。
昼神温泉の桜並木
安曇野アルプス公園のチューリップ畑
5月は戌の日のお参りに。
戌の日なんてイベントがあるのをギリギリまで知らず、義理のお母さんが教えてくれて、ゴールデンウィークに行ってきました。
6月は、エコーの時、性別を聞いて、ジェンダーリビールをしました。
ケーキを切って、中身のフルーツで性別をみんなに公開する海外発祥のイベント。女の子かな?って言われたので、女の子のフルーツを入れたのに、産まれたのは結局男の子でした。
7月はコロナが爆発的に流行り出して、お腹も大きくなってきて、毎週行ってた温泉をやめました。
高ボッチ高原にドライブ、散策。
お腹が重かったのは覚えてます。
散策路は足場が悪くて、慎重に歩きました。
8月ははじめての結婚記念日をお祝いしました。
結婚1thじゃなくて
結婚1stだろと突っ込みたかった一枚。
9月はアルプス公園でつつじ畑を見てきました。
そしてそのまま入院。
心臓の病気が見つかり急遽帝王切開に変更。
10/1、元気な男の子を産みました。
小さくて可愛い男の子でした。
手術室でとても大きい産声をあげて、元気な子だなーっと思いました。
大丈夫かな、障害とかないかな、手足は付いていて、指は5本ずつちゃんとあるのかなと不安は消えなかったけど、その大きな産声で少しは安心できたかな。
お医者さんたちも何も言わなかったし。
手術台のそばまで連れてきてもらった時も、ギャーギャー泣いてて、私の初めての第一声が
「ちっちゃいなー」
「触ってもいいですか?しっとりしてますね。」
だったのは覚えてる。
生後2日目の息子。
GCUから生還して、息子に会いたいと言ったら連れてきてくれました。
腹が痛いのに、午後はずっと見ててもらえますかと言われ、オムツ交換ずっとやってました。
赤ちゃんを抱いたことがないので、抱くのがすごく怖くて慎重に抱く練習をしていたのを覚えています。
10/8退院。地獄の入院生活が終わりました。
母が、アパートに泊まり込みで来てくれました。
息子は唸ってうるさいし、オムツも多分普通の赤ちゃんの2倍は変えてたと思います。
睡眠薬がないと眠れない私が、夜勤なんて出来るわけがないだろうと、寝ないつもりでやりました。
3日徹夜したらボロボロになりました。
私じゃ無理だし、これが毎日続くならもうやりたくないと思いましたが、息子がいるんだからそこからは逃げられない、辛かったです。
大学病院での2週間検診の時、夫と母を頼らないとダメですと、かなり強めに言われて、泣きながら無理ですと言いました。
そのことをなんとか夫と母に打ち明けて、夫は金曜と土曜の夜勤をしてくれることになりました。
母は、祖母がショートステイに入ってるギリギリの11月下旬までアパートに居てくれることになりました。
そうしたら身体が楽になって、気持ちも楽になり、辛いのには変わりなかったけど、楽しく育児できた日も増えてきました。
父もアパートに一度来てくれて赤ちゃんを見てくれました。
「小さいな、親父似だ」
と言って珍しく笑って帰って行きました。
11月になってくると、夜勤中眠れるスキルが身につきました。
それまでは午後は母に任せて、睡眠薬で眠っていたけど、夜まで起きていて、母と育児をしながらお茶を飲んだら喋ったりして楽しかったです。
お宮参りがありました。
スタジオマリオで家族写真を撮って、息子の写真をたくさん撮ってもらい、画像データを見ては可愛くてニヤニヤしていました。
寒い中、お宮参りに出かけたけど、心配をよそに息子がずっと眠ってくれてたので、そのまま済ませることができました。
息子の写真の出来が良くてしばらく毎日見ていました。
泣きもせず偉かった。と言うか、うちの子はあまり泣かないなぁ。
「イケメンですねーっ」
とスタッフさんに言われて、そうでしょーとおもってました。
いよいよ11月も終わるころ、祖母のショートステイが終わる日を迎えてしまいました。
母が実家に戻ってしまう日は不安だったけど、感謝以外の言葉が見つかりませんでした。
その数日前、二人で遊びに行っておいでと、息子を見てくれました。私たちは近くのモールに行ってお礼にポンチョとニットキャップをプレゼントしました。
喜んでくれて良かったです。
あまり高いものじゃなかったけど、夫と二人でえらびました。
12月、息子は2ヶ月になりました。
すごいなぁ、早いなぁ、可愛いなぁ。
2ヶ月になった息子は、だんだん睡眠時間が増え、朝まで眠ってくれるようになりました。
よく笑うようになりました。
身体の負担もたくさん減って、毎日が楽しくなりました。
12月前半は、鬱のひどいのになって1週間ほどしんでいましたが、夫が1日休んでくれて病院にいくことができました。
増えた薬のおかげでなんとかなりました。
息子はこんなに可愛い。
おばあちゃんに抱っこされてご機嫌の息子。
Yogiboが心地よくご機嫌な息子。
とにかく可愛い。
可愛くて仕方ない。
今日までみんなで頑張った成果がこの笑顔です。
辛くて仕方なかった妊娠生活が報われました。
健康な子が産まれたし、双極性障害でも育てられる。
2月の私にそれを伝えたい。大丈夫だったよ、と。
生活は180°変わってしまったけど、夫と二人きりがいいなんて言って泣いたけど、今は3人じゃなきゃダメです。
もう息子がいない日常は考えられません。
夫と二人きりであそこに遊びに行こうって色々約束して楽しみにしてたけど、
今は3人で何かして楽しみたい、と考える日々に変わりました。
来年は、バギーでお花見に行きたいです。
チューリップ畑も3人で写真撮りたいです。
家族風呂の入れる温泉に行きたいです。
少しずつ色々出来ることが増えていくので楽しみです。
明日の元旦、息子は3ヶ月になります。
目標はおもちゃに興味を持ってもらうことと、首すわりかな。
息子の元気な成長をまた来年もアメブロで伝えられたらなと思います。
本当に長くなりました。
ここまで読んでくださった方ありがとうございました。
また来年もブログ見てくださいね。