THE RUINS OF KOBE. -397ページ目

忘れじの my sweet apartment.



 画像…ナンチャない空地、しかも夜間ですみません。

 此処にはかつて私が住んでいたアパルトメント…といえばキコエはいい!?ですが早い話、アパート(‥;)がありました。

 ついこないだまであったのに、先日前の道を通っていてふと見たら早や影もカタチも…立ち寄って暫し思い出を巡らせました。

 まあ、色々あって…

 色々ありました^ー^;

 特に語るほどのものでもなく(´~`)

 …場所も別にゆうことはないですが、同地点から北を見ると。



 画像、車道の突き当たりには阪急の車庫が。

 唐突で申し訳なかったですが、やっぱり寂しかったので語らせて頂きました。

 では。
(了)

ご覧いただいている皆様へ。

 不肖当ブログにご来訪頂きました皆様におかれましては平素よりご愛顧、ご閲覧、並びにアツきペタを賜り誠に恐縮ながら心より感謝申し上げます。

 お陰様をもちまして順調そのもの、更新もこのペースを保っていくことができそうです。

 また、アメンバご登録も多々頂き、ありがとうございます。

 一般のお客様もアメンバ記事は月に一度をめどに順次公開してまいります、ボツ画像、小ネタも'アメンバ限定'というプレミア性を持たせることによって、随時'消化'の運びとなっている事にあらためて感謝申し上げます。

 どうか、以後も変わりなきご愛読をここに切に願い申し上げ、挨拶致します。

 本日は感謝の意を込めての記事とさせて頂きます。

 では。
(了)

生瀬のウヰルキンソン工場跡。

 武庫川を渡すバイパス俊成なり旧176号線となった生瀬橋西詰の交差点脇には、かつてはタンサンで有名なウヰルキンソンの工場がありました。

 ここはまさに日本の飲料炭酸水発祥の地。

 明治初頭、折しも山へ狩猟に赴いていたC.=ウィルキンソン氏は崖に湧き立つ炭酸水源を発見、極めて優れた成分を含有との分析結果に本格工場をこの地に建設、「C.=ウヰルキンソンタンサンミネラルウォーターカンパニー」を設立し国内のみならず世界に販売の手を広げました。

 その後軍事接収、戦後に返還の紆余曲折、80年代にはアサヒビールに製造・販売・商標を取得され、'90年迄その役割を果たし、100年に渡る歴史に幕を閉じました。

 その後暫らくは敷地内には大量の空瓶ラックやパレットなどが放置されていましたがやがてマンションの建設計画が持ち上がり、地域住民の方々のご尽力も虚しく、極めて歴史的価値の高い工場の建物は破壊され、跡地には大型マンションが建てられました。

 今回はその跡を訪ねるべく、何はなくとも以前からよりたいと思いつつも機を逸していた、敷地跡横の公園にある'ウヰルキンソン記念館'に足を運ぶと、何と…

 入口の窓から中を覗き見ると、何にもなくガランドウ(‥)

 よく見ると壁には幾つもの楕円の形をした、展示物のアトカタが微かに見える。

 きけば記念館建設こそなったものの、その管理はあくまで地域の自治会に委ねられてしまい…

 そもそも展示品は先述の様にウィルキンソン氏のご趣味であった狩猟の猟果の剥製の数々、しかしそれらを自治会のみでの維持は困難極めたようで、市や県の協力を得られぬままに著しく損傷の進んだその展示物は断腸の思いにて昨年、貴重な資料と共に処分されてしまった…との事。

 惜しまれます、壁の跡形はそれでガテンがゆくも、私にできた事、せめてもう少し早く訪れてそれらを目にしておくべきだったとの後悔の念は何の足しにもなりはしません。

 実際、かつての工場は、資材を本国イギリスから取り寄せられ、格式高くも情緒豊かな建物、品格漂う外観は暫し見とれていたくなる、美しいものでした。さらには裏山にゲストハウス、ご自宅迄もがあったという、まさに敷地ごと往年の英国様式を採った立派なものだった様です。

 斯様に褒め言葉尽きぬも、それを見る術は既に無く、刻の砂は指の間より零れ落ち止まず。

 偲ぶのみ。



 ウィルキンソン記念館を正面から。 そう、こんな屋根、こんな建物。



 壁もまさにこんな感じでした。 美しい。



 その横を流れる小川の水は赤茶色。石には細かい泡がまとわりついている…泉源からはまだ湧き出てはいるのか。

 一度行ってみないと…行けるンかな^^; でもオレはゆく。

 あと、出荷には福知山線が利用されていたなどの史実、何とかその歴史を紐解く資料に出合えたアカツキには憚らず記事に上げさせて頂く事とします。

 …と何となく収まりが悪いので、記事とは関係なくも画像を'特別公開'させて頂きます。



 神戸北野'うろこの家'。

 9/22より展開予定の神戸特集の予告と致しまして>< 何卒ご期待下さいませ。

 …しかし、この画像なんか違和感ありますね^^;

 タネ明かし、否'ネタ'明かしは本編記事にて!^^!

 では。
(了)

宝塚南口駅周辺の閑寂。

 阪急今津線の宝塚南口駅、は(宝塚ホテル前)との副称?があるとおり、駅のすぐ横に宝塚ホテルがあります。

 こちらの歴史は深く、今もなお、立派な建物で営業されておる様です。

 …ちなみにこの駅の'副称'、これはさして珍しくありません。

 しかし、同じく阪急の宝塚線にある山本駅のホームを見ると山本(平井)って書いてあるんですよね…ン??

 何か理由があるのでしょうがよくわかりません。

 して、宝塚南口駅。



 駅前ビル'サンビオラ'、3階分のフロアにかつては数々のテナントを抱え、本屋さんや化粧品屋さん、洋服屋さんに呉服屋さんに手芸屋さん等々…またタカラヅカグッズ屋さんとか、賑わい?はみせていたものの…

 やがては空きが多くなり、ゲームコーナになったりしたのちすっかり閑散と、今は1階のスーパーと花屋さんと99ショップのみが営業、上の階は非常防火扉が閉ざされたままと、華やかさのカケラもありません。

 私もさしたる思い出はなく、学生時代に楽器店で今でも愛読しているジャズ理論の本や楽譜、ギターの弦などを買いに時々立ち寄ったことがある位。

 99ショップは今もよく利用します^^;

 そして、これは宝塚一帯にいえることなのですが、スラリとした風体に颯爽とした所作、金色に染めた短髪に切れ長の目…

 目は切れ長でない人もいますが(‥;)

 そんな女性をよく見かけるのです。

 前カゴに口からパリジャンをのぞかせた紙袋を載せて駆け抜け、閑散とした街並を暫し華やかに彩ってくれる、ホンマかいなってゆう位'絵'になってるンですよね、タカラジェンヌさん達。

 まあ間違いなく女優さんなのでしょうけど時々フェイクさん!?もいる様で^^;; 見分けがつかない位キレイな方もおられ…

 イヤイヤ、見分けがつかない事にしておきましょう( ̄~ ̄)

 あと、驚愕の光景。

 駅周辺の歩道を歩いていると、例の制服をお纏いになった複数の若い女性が大きな声で"お疲れ様で~す!!"と元気に、ほどなくして"お疲れ様で~す!!"、また暫くして"お疲れ様で~す!!!"…と何度もず~っと…!!!!!

 ふと見てみれば、車道越しの歩道に同じ制服の先輩?方、その声に反応はしておられず。

 ただ後輩諸君は姿を見たらひたすら挨拶、反応があるまでずっと言い続ける訳で、でないと次の日にとんでもない、考えるだに恐ろしいことに…なるんでしょうね。

 宝塚ご出身の女優さんがよくいわれているアレ、ホンマにホンマみたいです(‥;)

 宝塚南口界隈、年季の入った建物、さりとて決して雰囲気は悪くなく、むしろ私的には好きな佳い雰囲気。栄華の日々を再びと宝塚大橋より願い、暫し佇み阪急電車の往来と穏やかな武庫川の流れ、六甲山の眺めもあわせて楽しんだのち、帰路に着きました。

 では。
(了)

阪急宝塚駅周辺の追憶。

 前回は歯切れ悪く途切れて、失礼しました。 しかし実質その続きです。(~_~)

 あまりに失われし原景への憧情は雲の上を歩くがごとく、潰えたものを慈しむなどは酔狂極まり、自然の摂理に抗い求めても手は空を切るのみ。

 何気なく過ごした時も、既視感が、ふと漂いくる香りが記憶を呼び覚ます。

 物覚えは悪くても殊、体験した情景はかなり頭が留めてしまう私、そんなで今回の様に胸の締め付けられる思いはかなりの頻度にて。

 宝塚ファミリーランドを最後に訪れた時も…

 もっと…もっともっと色々焼き付けておけばよかった、そうしなければいけなかった。

 あまりに当たり前に'そこ'にあり馴れ親しんだものが潰えるなど現実にいわれていても実感わかず、想像つかず…。

 なんてことない小径、何気なく上った小さな階段も跡形も…あるワケない、ついこないだ通ったと思うのに。

 …これ以上詳しく見ても何も分からないだろうけどさらに調査してみたい。

 けれど'体'がそれを拒むかも。

 決して小さくはない'ショック'から身を避けたい、無意識に心を護ろうとしてしまう、自身の弱さか。

 以前、阪神パーク跡地のショッピングモールを訪れてみようとした時も、入口手前交差点で躊躇した。

 誰にもジャマされたくない思い出の数々の地、今あるのは文字通り土地のみ。

 今の世間、佳いかときかれると…

 生まれ変わってまた過ごしたいとは思えない。

 温故して新たに得る知は無いといわれても、やはりこれからも大切にしていきたい。面影の欠片を集めにまた行くか~┏( ̄~ ̄)┛懲りるツモリナシ(-_-)



 私が十代の時に初めてバイトした◇ッテリア宝塚花の道店。夏休み毎日働いと買ったヤマハ パシフィカ セミカスタム(ギター)は今も愛用している

 当時は客足途絶えずの大盛況、ファミリーランド内にサテライトショップを設け、ここで作って配達…店内も盛況でナンボ焼いても焼いても焼いても追い付かなかった…

 末期には園内にマクドができてた…

 そんな訳でファスト・フードはキホン食べない私もロッテリアは今でも好き…欲をいえば当時やってたカイザーサンドペパービーフ、確かオコノミでレモンシロップをかけてメチャメチャメチャ美味しかった、あとシュリンプとかも復活を願いたいが…

 ナッチャンになってしまう前のオレンジドリンクが100%ではなかったけど絶妙に美味しかった。……



 地上時代の阪急宝塚駅、この辺りが踏切やった…

 高架になって大改良され、サッパリわからん。

 地上時代は温泉街の色濃く、駅周辺はお土産屋さんが立ち並び…

 しかし長期にわたる高架化工事、着手され変わりはじめた街並しか殆ど記憶を呼び起こせない…。

 ふと読んだ'じゃりン子チエ'、お好み焼き屋が息子に会いにいくシーンで先程の踏切も含め地上時代の駅が少し描かれており、当時の姿を偲べる私的には貴重な資料。

 未だ色褪せない記憶を辿りに、頑張ってまた行きたい、ゆっくり時間かけて。
(了)