目には見えない運命の赤い糸を、信じるか信じないかは人それぞれ。しかし時には本当に、神様がちょっとしたいたずらを仕掛ける場合があるのかもしれない。
英国で暮らす44歳の女性は、先日しまってあった思い出の品を整理していたところ、30年前にもらったポストカードに目が止まった。
なぜなら、差出人が今となってはよく知る名前だったから。実はこのポストカード、現在のボーイフレンドが6歳の頃、まだ2人が知り合うよりもずっと以前に書いたものだったのだ。


英紙サンによると、英中部バーバリーで幸せな生活を送っている44歳のマンディー・イングリッシュさんは先日、溜まっていた思い出の品々の整理をしていた。
そこには1,981枚もポストカードがあり、何気なくそれらを見て懐かしんでいたそう。すると中学生の頃にもらった一枚に、子どもの字で書かれた「リチャード・モーウッド」の名前を見つける。
それは昨年6月から交際を始めた現在のボーイフレンドと全く同じ名前だった。



1979年、バーバリーの学校に通う13歳の女子学生だったイングリッシュさんは、学校行事でスコットランドへ旅行。
その際に訪れたアラン島で、彼女は自分の名前や住所を書いたメモをボトルに入れ海に流したという。そして彼女のメモが入った瓶は2年の歳月をかけてゆらゆらと北へ向かい、対岸のスキップネスという街の海岸へ。
これをちょうど休みを利用して海岸付近の街に遊びに来ていた当時6歳のモーウッド少年が発見した。


中のメモを見たモーウッド少年は、早速遠く離れたイングリッシュさんに手紙をしたためる。
文章はボトルを見つけた場所と、自分が6歳と紹介する程度の短いものだったが、そこには必死に考えてペンを握っていたであろう、たどたどしい子どもの字が並んでいた。
そして宛名の下には、欧米の手紙の〆によく使われる表現で「Love Richard」と添え、ポストカードは無事に彼女のもとへ。
ところが受け取ったイングリッシュさんは、送り主が想定外に年の離れた男の子だったことに加え、「ポストカードを集めたいだけだった」との理由で彼に返事はしなかったという。
こうして2人の交流は幕を閉じたのだが、今となればそれは長い“中断”に過ぎなかった。


それから20年あまり経った2003年、大人になったモーウッドさんは地元を離れ、イングリッシュさんの住むバーバリーにほど近い街ハルにやって来る。
まるで運命に導かれるように物理的な距離が縮まった2人はいつしか出会い、昨年6月から交際をスタートさせた。


そして先日、30年前のポストカードを見つけたイングリッシュさんは、差出人が彼本人なのかをたずねることに。すると彼からは「漠然とだけど、メッセージボトルを見つけて、母親に『返事を書くように』と言われた記憶がある」との答えが返ってきた。
こうして2人は、互いに子どもだった30年前に繋がりがあったという事実を知ったそうだ。

ボーイフレンドがあの時の少年と分かったイングリッシュさんは「気絶するかと思うくらい衝撃を受けたわ」と、その驚きは相当なものだったようで、一方のモーウッドさんもこの発見は「信じられない」と語っている。  

また、モーウッドさんは最も驚いたこととして、当時のポストカードに添えた「Love Richard」の言葉を挙げ、「今は本当に彼女を愛しているよ」とも。意味合いは違っても、「Love」の言葉で結ばれた2人の関係にただならぬ縁を感じているようだ。
運命的な手紙を見つけ、愛を深めた2人。これからもきっと、一緒に幸せな時間を過ごしていくことだろう。
テレビでもよく報道されるバンコクでの爆発騒ぎ、あれはどこで起こったんだろうとBangkok Postを使って調べてみたところ、「the Santika Club in Soi Ekamai」と書いてあった。トンロー地区の警察に管轄が置かれていて、現在も調査が進められている。


テレビの映像を見てみると、新年を祝うパーティをやっていたクラブの客たちが花火を手にしている。これが何かに引火して炎に包まれた。ステージのバンド演奏が始まった時に炎が上がったというから、アンプやPA装置など電気系統に引火したのではないか。これにより53人が死亡した。1997年11月に起こったコーヒーショップ爆発事故で91人が死亡したが、今回の事故はそれ以来最大のものだという。


「Soi」というのは日本語で小道や路地にあたる。バンコクでは大きな通りは「RD(Road)」とあって、そこから伸びて細かく入り組んでいるのが「Soi」と表示される。今手元にあるバンコクの地図を眺めていたが、Ekamaiという地域はバンコク中心部からスクンヴィット通りをずうっと東南へ下った場所にある。バンコク上空を走るスカイトレイン・スクンヴィット線の終点駅がこの場所に設定されていて、東バスターミナルがすぐ近くにある。


この周辺が「トンロー」と呼ばれていた。バングラデシュ大使館がこの地域にあってビザ申請のために2回通った。バンコク市内を東西に流れる運河ボートを使ったのだけど、停留所の標識が風化して文字がすっかり剥がれ落ちていたから、「トンロー!トンロー!」周りのタイ人に呼びかけて降ろしてもらった記憶がある。


爆発のあったクラブであるが、出口が入口を兼ねた一つしかなかった。そこに、パニックとなった客と女の子たちが押し寄せて、押し合いへしあいの大混乱となった。爆発での死者だけでなく、その時の混乱で圧死した人も少なからずいたそうだ。


「みんな窓にへばりついて、助けを求めて叫んでいた。とても恐ろしい光景だった…。彼らの髪の毛や洋服は火に焼かれ、しかしどうすることもできず、ただ炎に飲み込まれるしかなかったんだ」


これは目撃者の証言である。結局、外国人29人を含む243人が負傷し、火傷治療が可能なバンコク市内の19の病院に運ばれていったという。僕もタイのクラブやディスコで遊びまわっていたから、他人ごとに思えなかった。243人も入るクラブとなると相当に立派なクラブである。そこに、気性の激しいタイ人がパニックとなって殺到してきたらと考えると、想像しただけで恐ろしくなる。


共同通信によると、4人の日本人が含まれうち1人が重体。イギリス人4人、フランス人2人、オーストラリア人3人、他にもスイスやフィンランド、アメリカ人など多くの国籍の人々が巻き込まれた。バンコクという都市は、世界中からとんでもない数の旅行者を受け入れる街である。その端緒が現われているように感じた。クラブの写真を見たが立派なもので、ふだんは外国人向けに営業されているクラブが、新年のお祝いということで、店に在籍する女の子、その友達が大勢集まっていたのではないかと思われる。


救助隊によって運び出された死体であるが、白い布で包まれてクラブの駐車場に一時的に並べられているという。その写真がBangkok Postに掲載されていたが、事件の悲惨さを物語っていた。これは日本のメディアではまず取り上げないだろう。(http://www.bangkokpost.com/2009)



以上の元になった記事はhttp://www.bangkokpost.com/topstories/topstories.php?id=135674に掲載されています。日本のテレビは詳しいことを教えてくれなかったので、紹介しました。不謹慎かもしれないけれど、この事件とは別に、俺もタイで新年を祝いたかったなー、お祭り騒ぎに参加したかったなーと、実家になんか帰らずにタイに帰ればよかったんだと、本気で思ってたりする。
 カタチとして残る「何かしら」を成し遂げないことには、いつまで経っても「あっち側」に行けないとわかった。


 つい最近、社会起業家や活動家が集まる会で酒を飲んだとき、「こっち」じゃなくて、「あっち」に行きたいなーと思ったのがきっかけ。所属団体の名刺でなく、人間としての名刺代わりになる「何かしら」が猛烈にほしい。1冊の本でも、1枚のCDでも、自分が推進する事業でも。そうゆうものがあれば、それを武器に社交的にふるまうようになるのか、と言われれば、逆にそれを盾にして、再び俺は引きこもりそうだけれど。



 ともかく。


 あっというまに年末になって、正直驚いている。いやホントに驚いている。驚嘆乃至愕然乃至焦燥などもろもろの感情喚起が騒がしいこの頃。大学時代、やることがほとんどなかったから、嫌気がさすくらい一人遊びに没頭していたから、「10月かぁ」「ああ、まだ10月か」「え?10月長くね??」みたいな、毎日が日曜日で時間の感覚が狂ったまま全く気にしないでいた。誰かと何かやる、それも仕事としてやる、ということは、こんなにもややこしくて時間がかかって時間が経つのが早いのね。もしアイセックとか、本気でやってたら、こんな感じで4年間ぶっ飛んでたんだろうか。そんなこと選択しなくて、本当によかったなあー。



 仕事を始めて、一番よかったなーと思うことは、
 「仕事をする」という感覚が、身につけられることだと思う。

 何をするにも、この感覚で取り組まないと、成せない。

 放っておくと、芸術は趣味になる。趣味は、成すものではない。何かを成すなら、その何かは、趣味の領域に絶対置いてはいけない。強制力が働き、責任が発生し、リスクを背負うというか、緊張感がないところに、何も生まれてはこないと思う。生まれることは生まれるのだけど、「できた」という感じ。「できた」って、偶発的でラッキーな感じがするじゃないですか。「成す」ってゆうのは意思の力強さをぷんぷん感じるし、そうゆうものには、魅力を感じる。



 アンヌ・フランソワというベルギー人作家の『壊れゆく女』という小説を読んでいる。

 難病に冒されたバレリーナのセシルと、彼女を治療することに究極の愛を見出す主治医ヴァナルドワの、二人の独白が代わる代わる紡がれていく作品なのだけど、今日昼休憩に呼んだ箇所で、彼の独白で印象的だったのは、

「セシルのいない病院は、あくせく働くだけの無味乾燥な役所のようなものだ。しかし、ものごとは進展している。時間だけが私の最高の味方だ。セシルにはまだ、もとの生活に戻れるだけのエネルギーはない。視線はグレーのベールで覆われ、肌の色にまで倦怠が表れている。そんな状態の彼女に近づける者こそがチャンスをつかめるのだ。
 私にとって幸運なことは、彼女のからだのどの部分からも"生"を感じられない限り、彼女のことを愛する者などいないということだ」

 この最後の部分。僕はこの言葉を一生覚えておこうと思った。からだのどこからも"生"を感じられなければ、誰からも愛されないんだってさ! でもこれは真理だ。その"生"の部分に僕たちは魅力を感じ、誰かを好きになる。そういった引力が、わずかにでも、対象物に全くないとするならば、いったい僕らは彼らに何を感じ何を話せばいいんだろう。何に心を動かせばいいんだろう。そうゆうものがもし、自分に備わっていないとするならば、これほど恐ろしいことはない。


 
 なあなあにこなしたのでは、"生"はにじみ出てこない。
 面白いと感じないことを、義務的にこなしていくのでも出てこない。
 自分の本当に好きなもの、本当に推し進めたいもの、周囲から浮いていても自分が魅力を感じるもの。それに十分な時間と労力を正当に投資し、責任とリスクを背負い、自分の意志力で成し遂げていくこと=仕事としての姿勢で取り組むこと。このとき、自分の生が最大限発揮されると思う。周りを見て、魅力を感じる人は、たいがいこの姿勢だ。



 大学生では、これはできない。
 人生の早い段階で、大学を卒業して良かった。



 冒頭に戻るけれど、みなさん、社会人の歳月はめちゃくちゃに早いです。放っておくと、あっという間に10年、20年経ちそうな予感がする。予感がするから、自分の望む場所にいる人はひたすらに邁進を、独立心がある人は、早いところ力をつけて飛び出しておかないと、気がつけば中高年、なんて事態に陥りそうな気がする。若者から若さを取ったら何が残るのか。お互い、お互いの道で、奮闘しあいましょう。よい週末を!