七夕ですが、あいにくの天気になりました
願い事は叶うか少し心配です
久々の投稿となってしまいました
とても時間が空いてしまいました
最近のできごとでとても考えさせられるような
そんなことが多いです。
私はまだ10代で
世間も何も知らず幸せモノだと思います
何不自由なく育ったのでしょう
軽くですが、私のお話をきいていただきたい
今まで様々なボランティアをしてきて
今は国際ボランティアに携わっています
最初の考えは
「先進国も発展途上国も貧困国でも、子供たちには同じ将来を同じ可能性を。私たちは恵まれすぎている。この恵まれているものを貧しい国へ」
という考えでした
国内はこんなに充実している
他国も同じように充実して
同じ可能性の状況下
様々な夢に向かえる
そんな環境を
と考えていました
考えが変わったのは今年の
4月頃でしょうか
中学時代の同級生
友人が突然、この世を去りました
なくなる一週間前のやりとりです
私は彼女が入院していることをしっていました
もちろん心配していました
ですが、心の中では
大丈夫。すぐ退院できる、今の医療技術だし
と軽視していたのです
お見舞いに行く予定でした
しかし、運悪くその日に大切な対談が入ってしまい
お見舞いにいけませんでした
彼女は、いいよ。連絡ありがとう
とメッセージを送ってくれました
これが最後のやりとりです
その一週間後
イベントのスタッフをしているときでした
珍しい子からメッセージが来ており
彼女が亡くなったと知りました
すぐに病院へ走っていきました
そこには白い布で包まれた彼女がいました
私は泣きながら謝りました
けどもう遅いとも感じました
それから何故か様々なことが重なりました
鬱
突然の病気
いつ死ぬかわからない
当たり前でない世界
失いそうな小さいもの
裏切り、見捨てられ
いろんなものを目の当たりにして
「こんな悲しい世界で何故、私は普通に暮らしているのだろう」
「これから先、どんな幸せがあるかわからないのと同時にどんな悲しみがあるかわからない。それでも明日は来るから笑顔で過ごさないといけないのか」
「いつ癒えるかもわからない悲しみと一緒にどれだけ長く生きなければならないの」
とても悲観的になりました
「けど、その子の分まで生きないといけない。前を向かないといけない」
そういわれ、前を向くことの
今では前を向いているように感じます
そこでふと気付きました
「目の前の、メディアでの情報でこの国際ボランティアもしているわけだが、本当にそれでいいのか。目の前の実は身近で苦しんでいる人を助けずに遠くの人を助けていいのか。けど、遠くでも苦しんでいる。けど、先進国や発展途上の光に埋もれて悲しんでいる、苦しんでいる子供がいるのではないだろうか」
「たとえ、今が幸せでも恵まれていてもそれは当り前じゃない。それに気づかずに過ごしていいのか」
「実は命があること自体が当たり前じゃない、奇跡でいつ消えるかわからない」
すると本当にこのボランティアの考えでいいのかと感じました
ボランティアはとても難しく賛否両論です
決して正解も不正解もなく
正しい、正しくない、偉い、していけないこと
どれにも当てはまらないでしょう
その中で、私はこれから一生
正解を求めて過ごすと思います。
このブログを読んでくださっている方に問いかけます
当たり前の過ごしてる日々の中で
どれだけ、恵まれていることに気づいているでしょうか