この4月から岐阜バスが撤退し、加越能バスの単独運行となることが発表された氷見・高岡線ですが、その歴史は新しく2008年4月の運行開始です。形式上は岐阜バス・加越能バスの共同運行でスタートしましたが、開業当初は加越能バスが2往復を単独運行していました。岐阜新聞の記事(2008年4月23日付)によれば、翌5月10日ごろ岐阜バスも運行予定となっていました。実際に何日だったかは、よくわかりません。もし知っている方がいましたら、ご教示いただけると幸いです。


その後、加越能バスは増便を繰り返します。2002年12月には1往復増便し3往復に、2013年4月には2往復増便し5往復となりました。一方で、岐阜バスには動きがまったくありませんでした。これは拠点が美濃営業所のため、車両の手配が難しいことによると思います。現状では、関テクノハイランド5時44分発名鉄バスセンター行きで送り込み、帰りは名鉄バスセンター22時20分発関テクノハイランド行きで送り返す効率的な運用を行えていますが、これに1往復増便するとどうなるでしょうか。営業路線で昼間時の出庫となると、相当余裕をもったダイヤ設定の必要があります。回送となると距離が長すぎ、非効率的です。そこまでして増便する意欲は、当然ながらないと思います。

氷見・高岡線は起終点とも岐阜バスの拠点でないところが、興味深い路線でした。しかし、それゆえか岐阜バスからは、路線を育てていこうという意欲が感じられませんでした。開業当初こそ、両社で1往復ずつとバランスが取れていましたが、以降は加越能バスばかりが増便を繰り返しました。しかも増便分は、すべて3列シート車で名古屋直行(名鉄岐阜を経由しない)と、独自路線ともいえるような扱いでした。両社の高岡・氷見線に対する力の入れ方は、傍目から見ても明らかな差がありました。


とくに名鉄岐阜経由の問題は、大きかったと思います。たしかに、名鉄岐阜を経由すると所要時間が大幅に伸びてしまい、名古屋・高岡間で先発のイルカ交通に遅れを取ってしまいます。名鉄岐阜での乗降は、決して少なくはないのですが、やはり名古屋というパイにはかないません。しかも現状では、ダイヤ上、最も利用しやすい便が名鉄岐阜経由になっています。イルカ交通を意識する加越能バスにとって、これは無視できなかったはずです。逆に名鉄岐阜を経由しない路線など、岐阜バスにとって運行する意味がありません。撤退理由は明らかにされていませんが、乗客は決して少なくないことから、このあたりに原因があったと考えるのが妥当でしょう(もし利用者が少ない、減少したのが理由ならば、通常は撤退理由を説明として記すはずです)。

撤退を控えた3月の日曜日、往復で乗ってみることにしました。何とバスは、発車時間8時の15分近くも前に、入線してきました。改札を行いますが、運転士さんの制服は名鉄バスそのもの。おととし、タイミング的には八幡から撤退する時期でしたが、岐阜バスは制服を名鉄バスタイプのものに変えたのです。この時は、八幡の乗務員のみ古い制服で運転していたため、不思議な感じがしました。名鉄バスに乗るような感覚に誘われながら、車中の人となります。始発の名鉄バスセンターからは、10人が乗車しました。客層は若者が8割を占め、普段ローカル路線ばかり乗っている身には何とも違和感があります。


バスセンターを出ると間もなく、名駅入口から名古屋高速へ入ります。そのままバスは北上し、一宮ICで名神高速へ合流、さらに一宮JCTで東海北陸道へ入っていきます。ほどなく一宮木曽川ICで一般道へ降りて、名鉄岐阜へ向かいます。確かに、ここから先は時間的に長く感じます。名神高速道路が若干渋滞気味だったのに加えて、一般道もやや混雑していたため、10分ほど遅れて名鉄岐阜(岐阜バスターミナル)へ到着しました。ここでも8人が乗車しましたが、乗車券のチェック等で時間がかかり、15分近く遅れて発車しました。バスは岐阜各務原ICで再度東海北陸道へ入ります。途中、長良川SAで10分間の休憩があります。スタフでは9時35分発でしたが、15分遅れはそのまま。車内では、スタンプの押印がありました。これは、1回乗車するごとにスタンプ1個が押され、7個揃うと片道が無料になるという面白いサービス。様子を見ていると、4分の1くらいはリピーターがいる模様です。


さてここから5分ほどで、次の目的地高速美濃に到着します。ここでも乗車可能ですが、停車の目的は乗務員交代。このバス停、美濃営業所から歩いて5分ほどという便利なところにあります(ちなみに高速八幡線でも、現場交代する便があります)。この日、高速美濃からの乗車はゼロでした。


バスは次の目的地、白川郷へ向けてひた走ります。白川郷ICで一度高速を降り、一般道を経由してバス駐車場へと向かいます。いつの間にか遅れは10分ほど回復していましたが、一般道が渋滞しており、ここで遅れは20分に拡大してしまいます。道路には雪が積もり、改めて気温の低さを実感します。ここでは6人が下車しました(ちなみに別の日に乗車したときには降車がなく、バスは一般道へ降りることなく通過していきました)。白川郷は下り1便のみしか経由せず、帰路は岐阜バス白川郷線を利用することになります。その割に、利用者が多いのは意外でした。


そして30分ほど行ったところで、城端SA。バスはここで10分間、2回目のの休憩を取ります。と同時にここはバス停にもなっており、この日は3人が下車していきました。


そして砺波ICで東海北陸道を出た後は、ひたすら一般道を走行、こまめにバス停で停まっていきます。降車は、砺波駅南で2人、砺波市役所前で1人、戸出4丁目で1人、高岡駅前で4人、職業安定所前がゼロでした。このうち、戸出4丁目と職業安定所前は、2010年10月に追加されたバス停です。終点氷見営業所には、20分遅れの到着で、私の外に1人が降りていきました。

加越能バス氷見営業所です。後方には、しばし休憩する岐阜バスの姿が見えます。ここが定位置のようで、名古屋行はこの場所から乗車します。前方左側には、忍者ハットリくんのラッピングバスが休んでいました。


さて、私は氷見の街をぶらぶらしながら、折り返し営業所発16時20分のバスを待ちます。バスは早くも20分ほど前から、乗車扱いを始めました(別の日に乗車した時は5分前からだったので、時間は乗務員に任されているようです)。ここで3人を乗せて、バスは発車します。


職業安定所前で1人乗せた後、高岡駅前バスターミナルへ入りますが、バス停にはたくさんの人が。何と11人が乗ってきました。この路線のメインとなるバス停は、やはりまぎれもなく高岡駅前ですね。改札に手間取り、10分ほど遅れて出発しました。ここでも、乗客の圧倒的多数を若者が占めます。この後は、砺波駅南で2人乗せたのみ。

バスは東海北陸道をひた走り、砺波SA、古城山PAで休憩を取ります。砺波SAでは、売店がもうすぐ閉まる時間でした。2か所目は、下りと異なり古城山PA。トイレしかないPAですが、時間帯が遅いだけに売店はあっても閉まっていると思われ、別に不都合はありません。ここから5分ほど行くと、高速美濃です。乗務員交代が行われたほか、降車客も2人(氷見営業所、高岡駅前)いました。そして岐阜でも4人を降ろし、終点名鉄バスセンターへと向かいます。一般道で若干混雑し20分遅れに拡大しましたが、名古屋高速が順調だったため終点には10分遅れで到着しました。


感想としては、全体的に、時刻の設定に無理があるような感じもします。特に岐阜・名古屋間ですが、設定の時間通りに到着するのは難しい印象を受けました。別の日(平日)にも乗車したのですが、さほど渋滞していないような状況でも、定時には到着しませんでした。乗降に時間がかかることを考えると、ゆとりをもったダイヤが必要かと思います。ただ、平日でも、大学が休みのような時期だと、そこそこ利用者はいます。現状の採算は分かりませんが、まだまだ伸びる要素はあると思います。岐阜バスは撤退しますが、今後、加越能バスのがんばりに期待したいですね。


むしろ気になったのは一般路線で、氷見市内では空気輸送が目立ちました。乗ってみると分かりますが、乗務員の方はまったくマイクを使いません。ありがとうございました、の一言もありません。特定の乗務員ではなく、多くの方がこのような対応をしているようです。まるで、一昔前の路線バス。愛知・岐阜では、ありえない話です。商品を買ったのに「ありがとうございました」と挨拶をしないお店で、私は買い物をしようとは思いません。利用されない理由が、分かったような気がしました。いくら立派なダイヤ・路線・車両・価格であっても、真心が抜け落ちていては、商売(バスの場合は、サービス業)として成立しません。公共交通の再生に関して、多くの学識経験者が様々な意見を主張していますが、この根本的な視点が欠如しているように感じます。バス事業は苦しい立場に立たされていますが、少なくとも自らの対応がその原因を作り出すことは避けたいものです。

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 今回取り上げる久万高原線ですが、かつては松山高知急行線と呼ばれており、松山・高知間を結ぶ長大路線でした(なぜか、高知県側が廃止になった後も、「松山高知急行線」の名称は残りました。近年、ようやく「久万高原線」へと改められましたが、これが具体的にいつかは不明です。ご存知の方、教えていただければ幸いです)。


 区間開業という点で見ると、1934年3月の松山・久万間にまで遡ることができますが、松山・高知間は1951年4月の開業で、こちらは戦後のこととなります。全区間を通しで走る特急および急行便は、1969年2月以降、「なんごく号」の愛称で呼ばれました。該当区間の鉄道網が不便なため、民営化後もJR四国唯一の黒字路線となっていました。が、高速道路網の整備により、2001年12月、その役割を高速バス「なんごくエクスプレス」に譲ります。ただし2002年8月までは、3便に減らした上で、「なんごく号」も残りました。全区間一般道経由で3時間4分は、当時、JRバス路線として十和田北線をしのぐ最長でした。


 この年の3月、廃止になる前に乗っておこうと、初めて四国の地、高知駅を訪れました。7時30分発の便に乗車したのですが、平日の朝ということもあってか車内は閑散。のんびりした雰囲気のなか、引地橋で5分間の休憩がありました。かなりの長旅でしたが、景色は美しく退屈せずに過ごせました。


 四国を訪れるのは、このとき以来ということになります。松山駅は、以前と余り変わってないような気がしました。乗車するのは、松山駅6時30分発落出行き。年末の朝1便、しかも下りということで、始発での乗客はゼロだろうと思っていました。ところが10分以上前にバス停へ着いたにもかかわらず、結構な人数がバスを待っています。高速バスの乗客かと思ったのですが、時刻表を見てもそれらしい便は見当たりません。そうこうしているうちに、落出行きのバスが、時間ぎりぎりで入線してきます。


 次々と乗り込んだ乗客は、私を除き計8名。さすが、JR四国バスで残った数少ない一般路線なだけはあります。かつて、次々と廃止されゆくJR四国の一般路線バスを見ながら、ひょっとしたら、ほどなく全廃もありうるのでは、と思っていました。しかし、先に一般路線をすべて廃止したのは、私の地元、JR東海バスでした。なんとも皮肉なものです。


 それはともかく、バスは松山市内をこまめに回りながら、大街道、立花橋、森松本町、高尾田と乗客を乗せていきます。しかし、降車する乗客は、ひとりもいません。やはり、市内のメインは伊予鉄道バスです。砥部町から峠を越えて、久万高原町へ入ります。この区間の景色は、絶景でした。最初に降車があったのは、六部堂です。若い男女4人が降りていきましたが、スキー場へ行くのでしょうか。久万町では東明神、藤の棚、西本医院前と、こまめな降車が続きます。久万高原では5人が下車し、車内は私以外、女性の2人連れだけに。なお、本明神から久万高原間の短区間乗車もありました。残った2人連れも、上浮穴高校前で降りていき、車内は私1人。ここから落出までは、乗降ゼロ。近い将来、久万高原までしか路線は残らないのではないか、と少し暗い気持ちになります。


バスは落出に着くとそのまま直進、信号を左折して柳井川を渡り、対岸の駐車場所で転回します。以前は橋の上で待機していましたが、何でも崩落の危険があり、最近禁止されたとか。私自身は、見るからに古い橋ですし、重量のあるバスがこんなところで待機して大丈夫か、と思っていましたから、やっとという気持ちです。


対岸にある駐車場です。車両は元大阪市営のキュービック。正面にJRマークがないのが、JRバス他社とくらべて珍しいところ。2台分の駐車場所が確保されており、ここで夜間滞泊するものと思われます。ただし、平日の時刻表を見ると、落出発の平日朝3便が、松山からの折り返しでは間に合わないダイヤ設定です。滞泊が2台だとすると、1台宙に浮いてしまいます。松山支店から回送では遠すぎますし、どのように車両をやりくりしているのでしょうか。



落出駅です。当日はとても寒く、待合室で待たせていただきました。バスを降りた後、急いで暖房を、と思ったらすでにつけてありました。どなたかわかりませんが、心遣いが大変ありがたかったです。おかげで、折り返しまで、快適に時間を過ごせました。利用される方の何人かは地元以外の人だと思いますが、ぜひこの環境が守られるよう、大切に使ってほしいと思います。なお2階は、乗務員の方の宿泊場所になっているようです。


そして、折り返しの発車時刻9時30分になりました。落出からの乗車は、私以外いません。が、行きとは違い、沢渡橋、沢渡大橋、御三戸、久主下、伊予落合、野尻と次々に乗客を拾っていきます。御三戸から上浮穴高校前という、短区間もありました。そして定刻通り、久万高原に到着し、ここで3人を降ろします。代わって4人が乗車し、この後も久万中学校前、藤の棚でそれぞれ4人をのせるなど、車内は賑やかになってきます。その後しばらく乗降がなく、砥部町に入ります。通谷口、総合公園口で降車があったほか、麻生で乗客孫連れのお年寄り(?)が乗車してきました。乗車はこれが最後で、行きと同様、松山市内区間のみの利用はありませんでした。松山市内では、高尾田、森松本町、朝生田町東、大街道と降車が続き、松山駅まで乗ったのは、4人(うち1人は子ども)だけでした。森松本町では、高校生が4人下車していきました。年末の休校日にもかかわらずこの状態ですから、本来は通学利用がかなりありそうです。

全区間約1時間40分(なぜか時間帯によって、微妙に所要時間が異なります)のロングランですが、景色が次々と変わりまったく飽きさせません。乗客は、失礼ながら意外と多く、ちょっと安心しました。ただ、採算がとれるほどではないことから、今後の予断を許さない部分もあります。ぜひ利用して、路線の存続を応援していきたいですね。

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今回取り上げるのは、東古河線です。この路線、元々は南筑波線と呼ばれており、土浦・古河間を結ぶ長大路線でした。1951年2月の開業で、鉄道の先行路線として位置付けられていました。しかし、中間に当たる下妻地区の利用者は限られ、また土浦・古河間の流動もほとんどありませんでした。このため、下妻地区が区間廃止となる直前あたりに、下妻上町で路線分割されました。そして、2006年4月、松本・下妻上町間、下妻上町・篠崎転向場間が廃止され、路線は完全に分断されました。


この後、分断された両地区は明暗を分けます。土浦地区では、人口の少ない旧道を通るため、乗客が極めて少ない状況にありました。2008年4月、ついに篠崎転向場・下虫掛間が廃止され、南筑波線は見る影もなくなりました。一方、比較的利用者が多かった古河地区は、枝線の新設が頻繁に行われ、1日当たりの本数もさほど減らされずにここまできています。2002年4月には、転向場のあった大綱に営業所が新設され、さらに、2004年10月には大綱営業所が古河支店となるなど、路線維持の意欲すら感じました。


今回、廃止となった区間ですが、ユーセンター・西町南間が2000年3月、トウペ前・ジャパンパイル前間は2010年10月の開業と、いずれもJR移行後に開設されています。とりわけ後者は、わずか3年で廃止を迎えたことになります。以前からバスが走っていない区間というのは、そもそもバスに頼らない生活が成立しています。そんななか新規需要を獲得することは、非常に難しいと思います。


さて、ここで、実際の乗車レポートを。ありがたいことに乗り潰しという意味では、松本発17時35分発の便が廃止全区間をカバーしています。とはいうものの、朝の北利根工業団地内がどのように利用されているか知りたいため、古河駅7時35分発大綱行きの便にも乗ってみることにしました。北利根工業団地内を経由する便は、開業当初から平日のみ2往復、廃止直前には平日のみ1往復となり、趣味的には非常に乗りづらい状態でした。


ある日の朝、古河駅7時35分発のバスにはすでに8人が乗っていました。末広町、第三小学校前、上辺見と乗車がある一方、途中停留所で次々に下車していき、北利根工業団地で3人が下車すると、車内は私以外3人だけに。日本バイリーン前で2人、積水ハウス前で1人と何とも寂しい状態でした。ここから先、大綱までは貸切でした。大綱で私を降ろすと、バスは転回場を通過していきます。どこへ行くのだろうかと思いきや、その先にあるエネオスで給油していました。たしかに古河支店(現)、大綱転回場に給油設備はありませんね。


折り返しで古河に帰ったのち、夕方までぶらぶらと過ごします。そして、古河駅16時40分発で松本へ向かいます。この便も乗客があったのは大綱までで、松本までは貸切でした。下妻上町が廃止されたとき、利用者の少ない大綱・松本間が、なぜ残ったのか不思議でした。高校生の通学利用がある、という話を聞いたので、そのためかもしれません。現状を見ると、大綱から先は水口と松本以外ほとんど利用がありません。路線の存続が不安になってきます。


折り返し17時35分松本発の便に乗ります。何と始発の松本からは、どこからともなく現れた1人の中年男性が乗り込んできました。意外にも、少ないながら利用者はいるようです。この後、北山田入口まで乗客はなし。柳橋下宿で1人乗り、久能で北山田の乗客が下車したのちは乗降なく工業団地内へ入っていきます。なお、久能新田東から総和福祉センター間は、北行きのみしか停車しないため通過。団地内では、トウペ前、日本バイリーン前、積水ハウス前で乗車がありました。バイリーン前の乗客は朝も利用していましたが、他の利用者は片利用のようです。


団地内を一周したのち、北利根工業団地で1人を乗せます。先ほど通過したバス停のうち、せせらぎ第6で1人乗車がありました。久能住宅地、薬師公園、総和中央病院前で乗客を拾い、駒羽根第一の先を左折して、バスは次の廃止区間に入ります。時間的にも利用者はいないだろうと思いきや、西町南では2人がバスを待っています。女沼南でトウペ前からの乗客を降ろしたほか、北磯部では1人が乗り込んできます。多くはありませんが、利用者はたしかにいます。この後、バスはユーセンターを左折して本線区間に合流します。この先は末広町で1人下車した以外、古河駅までの乗客でした。


感想としては、たしかに数名しか利用がない状態で、路線の存続は難しいと思います。ただ、代替の交通機関も設けられないようですし、利用者の方が今後どうなるのかは気になりますね。


松本転向場にて。折り返し北利根工業団地、総和高校経由古河駅東口行きとなります。車両は、最近導入されたばかりの東急中古ノンステです。JRバス関東は、東急のノンステ中古車を近年大量導入しており、各支店に配置しています。ただし日産ディーゼル車に限り、現状では古河営業所のみの配置となっています。


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