”続サンスクリット語の般若心経”追記 | るいのビターな日々

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バイクと車(ともに旧車)好き、旅と音楽好きな昭和生まれの残党です(笑)

読者もアメンバーさんも募集していませんので、悪しからず!

あの時は、右も左も分からない状態から思い立って「般若心経」を学び始めたのですが、その後に次々と他のお経を学び続ける内に少しずつ書かれている内容が掴めかけて来たように感じ始めたので、忘れない内に書き留めて行きますタラー


※有名な色即是空、空即是色の出て来るパートですね!


舎利子。

  色不異空。空不異色。

色即是空。空即是色。

  受想行識亦復如是。

舎利子。


シャーリプトラよ。

  この世においては、物質的な現象には実体がないのであり、実体がないからこそ、物質的現象で(あり得るので)ある。


実体がないと言っても、それは物質的現象を離れてはいない。

  また、物質的現象は、実体がないことを離れて物質的現象であるのではない。


(このようにして、)およそ物質的現象というものは、すべて、実体がないことである。

  およそ実体がないということは、物質的現象なのである。


これと同じように、感覚も、表象も、意志も、知識も、すべて実体がないのである。

  シャーリプトラよ。


※受想行識のことを引用元の記事では、

⇒これは心の働きのすべてです。

>物質的な色と合わせて色受想行識の五蘊で、心身、及び世界のすべてを表されています。

  とあり、


☆心身、及び世界の全てが五蘊と言うことですから、

⇒自分心身を含めた世界の全てが固定不変の実体の無い移ろい行くものと言うのが、観音さまの見いだしたこの世の様相と言う受け止め方でいいのかな…うーん


・ウチの両親は信仰心よりも利にさとい人たちだったので、

>諸法無我なんて観念は全く無かったと思いますし、それは父親の考えに生き写しの次弟や母親の考えを色濃く受け継いでいる末弟を観ると、諸法無我とか言っても全く分かろうとしなかっただろうなと思います…


そんな家族に囲まれて育った私にも諸法無我と言ったら通じないだろうと思ったのか?


  祖母は私に

色即是空。空即是色。

のパートだけを抜き出して伝えてくれたのだろうなと、今なら思いますうーん


⇒別の機会に一期一会と言う言葉を教えてくれたことも、短命を覚悟した私にとって、

☆限られた時間(期間)を濃密に生きて、悔いることの無いよう実直に囚われないよう精いっぱい生きる道を指し示してくれたのだろうなと思っていますニコニコ