この大十三章も2回に分けて学んで行きます。

〇「この如来蔵の本性は清浄であって、生死の世界で煩悩の迷いの中にあっても汚染されない。
ただ隠されているだけである」
⇒これは維摩経の中に出て来る、煩悩あるままに涅槃に渡る。
蓮の花は高原の陸地に生じず、卑湿の汚泥に生じると言う、あの譬えと同じようなことを意味しているような…
⇒そして、如来蔵そのものには生も死もありません。
>如来蔵は有為の相(因果応報のものごとの世界)を離れて常住不変です。
〇このゆえ、如来蔵は依(依りどころ)であり持(支え)であり建立(基盤)であります。
とシュリーマーラー王妃は述べられていますが、如来蔵と言うのは以前に学んだ通りと捉えるのなら、本来の仏(如来)さまと同じような仏さまの種とか胎児のように私たち衆生に備えられていると言う、法華経の衣裏繋珠の譬えの宝珠を指すように言えるのかなと思いました
⇒要は お釈迦さまの教えはどの教えも衆生を済度する為に説かれた抜苦与楽の教えなので、
〇どの法門から入って行っても行き着く先は涅槃(浄土)であり、その境涯に衆生を導き渡すことこそ如来の本願なのだろうと思いました😃
