思い返すとそもそもがこんなに長く生きていられるなんて思ってもみなかったな…
だから50を前にしてその頃の勤め先が突然潰れてしまった時には、この先どうしようか❓と思ったし、例の後輩の勧めで名古屋まで出て来て就活するのも他に選択肢が無かったから、そうするしかなかった(´-`).。oO
地元に住んでいた頃から息子のことは大切にして来たつもりだし、家内とも仲は良かったけど、2人が親子一緒に暮らしていけるようにするぐらいしか、私がなしたことは無かったんですよね
そしてやっと見つけた仕事は全くの畑違いな今の仕事…
これでどうやって家族の夢(目標)を叶えて行けるのか?と、短命を覚悟していたので途方にくれました
ところがあろうことか?自分で思っていたよりも長いロスタイムの時間が許されていたようで、家内の家の方はご両親を見送ることも人並みに出来て、長女さんとも再び交流することが出来るようになって、さらに彼女が再婚するまでのアシストも出来て
私自身も夜勤の無い会社に移籍し引っ越しも済ませて、念願だったリターンライダーになることも出来て、それまで縦糸・横糸としてバラバラだった2人が息子の想いと献身的な働きによってちょっとした物語のような布を織り上げて来れたような実感を抱いています
※普通の家庭とは違いそれぞれが別々の場所に住んで働いているのに、同じ目標に向かって努力し続けて来たことがちゃんと形として残ってくれている
その現実をとても嬉しくちょっと誇らしく思います^ ^
今まで何度も八方塞がりのような状況にみまわれたことはありましたが、その時その時に進むべき道を指し示してくれるサインに従って来たら、不思議なことにそのピンチを乗り越えていた感じです…
私たち2人の着陸する時のことも話し合って決めてあるので、後は残された時間で何が出来るのか分からないけど、お互い若かった頃に後回しにしてやれなかったことに取り組んでみて、悔いのない余生を送りたいなと思います