たぶん俗に言う宿命というものは、
抵抗しても引き戻され、到達点も分からないままカオスの中にまるで閉じ込められたかの様に思えた体験は今まで2回あった、前回と今回。
必ず何故かわからないけど無性にやらなきゃいけないと思い、やる事がある。
自分のルーツをわかる範囲で調べる事。
先祖の事、人となり、自分で大体何代目か、大体どのくらいの時期にこの土地に来たのか、苗字とは違う屋号、地名の由来、お寺の宗派、神社の御神体、など。
自分の直近の親族の自分が生まれる前の人生、写真を見たり、どんな出来事があったか、親戚のこと、我が家とは、先祖個人の人となりを聞いたりもした。
顔を知ってる先祖から顔も知らない先祖まで、脈々と受け継がれてきた軌跡をたどっていくと
自分もDNAの螺旋の一部なんだと実感させられる。
どこかがちょっとでも違ったら私は生まれていなかったかもしれないし、そう考えると人の一生の連鎖はいかに奇妙で繊細な事象の連続なのだろう。
ネイティブアメリカンの教えで「七代先を考えよ」という教えがある。
常にその価値観を基準に行動する。
これは古来の日本にも同じような考えがあったのでは?と感じる。
美しい自然環境、美しい精神、今よりもより良い世の中にと願い受け継がれてきたのが、国でありそこに住む人。
種として子孫に、利他的とまでは言わないが今よりも安定して繁栄できる世の中を造るのが生物としての本能のようなものだと思う。
利己的になった種の、その先にあるものはなんなのだろうか?
自分のルーツに触れる事は
なんとも言えない安心感と好奇心が満たさせる。
自分の最も近い他者を通して自分を知れる。
そのうち依頼して、調べられる限界のところまで調べたい。ファミリーヒストリーみたいに。
神回は本当に面白い。