私の趣味は料理と言っても過言ではないと思っていました、子供の小さき時は離乳食からおやつまで手作りだった。

幼稚園のお弁当🍱も高校生の時も二人のお弁当は全く同じメニューを入れなことがないし、頼まれて家庭教師を雇っていた時や何方が来訪した時も同じ物をお出しした事が無いほど自信があった。

しかし、山育ちの海なし県で流通も発達していなかった飯田地方育ちには魚を3枚おろしにしたり捌いたりができない。

母や祖母や妹の旦那さんのように山菜や珍味の下ごしらえや灰汁抜きも出来ない。

それでも料理は好きで、上京し中々子供に恵まれなかった5年間はベターホームのパンとケーキを3講座ずつ3年も通ってシュークリームは十八番だった。

何方がお出でになるという時には気張らず残り物でおもてなしをするのが私流。

同じ食材例えばジャガイモ🥔でも、醤油

塩、味噌、胡麻、砂糖、ケチャップ、牛乳等など調味料で何通りにもなる。

残り物を上手く使うのが得意だった。

一時期は親父のお弁当も作っていたがあるきっかけで、自分で作られせていた🥡🍱

息子は、重い荷物も重い飲み物も重いお弁当も喜んで持って行っていた。

   此処に印刷の関係で無駄な行を入れますごめんなさい(≧▽≦)

 

コンビニ弁当を買うのは母親の愛情がない!!と怒っていたほどで、2歳年下の娘は、外食やコンビニ弁当を憧れていた。

しかし食べ盛りの息子にはコンビニ弁当を2個買わせるのが出来なかった。でもをよく一日も休まず遅刻せず頑張ったと感心する。

今は真逆である。

息子は毎日外食とコンビニ弁当。

娘は家計を切り詰めながら毎日手弁当らしい。

 

食費も考えながら栄養バランスも見た目も持ちやすさも完璧に作っていたのはもう娘は36歳だから約20年も前になる。

この南西に向いた台所で自分の為に料理をするなんてとんでもないと思う今は昔が懐かしい。

やや不味くても安い出来合いを買って来て食べてしまうし、パンもケーキも菓子も型だけは山ほどあるが30年は使っていない。

もうこれからは料理が趣味だなんて言えないな。

当然食欲がないし、買い物にも制限があるし、重いし、坂の上だし。今後の私の食事はどうなって行くのでしょうか?

 

    

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此処に印刷の関係で無駄な行を入れますごめんなさい(≧▽≦)