暑い中新宿周りで恵比寿センターに向かったので、序(つい
で)に伊藤園の店長に会いに行ったら、一番美味しい頃合いを計算
して、この店のお勧めのお茶の冷茶を煎れて待っていて下さって、
お陰様で朝から美味しいお茶で気持ちも落ち着き仕事に出かけら
れた。流石に優秀な店長だけあって煎れ方が上手であるグッ
夕方暑い中、仕事から帰宅して、今日は伊藤園で買ったほうじ茶
を冷たくして、伊藤園新宿京王の店長の女性から頂いたおやつを
ご馳走になった。これは今京王デパート新宿地下に出店している
有名メーカーのお菓子だそうです。
冷緑茶と冷ほうじ茶を交互に飲もうかな?と思っています。
 
    
テレビでは半分以上の番組がパリ五輪を放送している。
ここまで上り詰めるには、相当な精神的にも肉体的にも環境的に
も努力と幸運がないと叶えられるものではない。
    
五輪の影響課は知らないが、青山学院大学が電車を競ったり、何
トンものトラックを人間が引っ張ったり僅か1.5㎝に指を掛けるボル
  此処に印刷の関係で無駄な行を入れますごめんなさい(≧▽≦)
 
タリングの競争など見ていたが、まあ大変だと思ったと同時に、運
動選手は目に見える過激な練習や試練に耐えて来ているようだ。
この大舞台で成績を遺せる者は本の一摘まみである。
しかし、前回も書いた様に此処を頂点と位置づける者はその頂点
の継続とプレッシャーに苛まれる(さいなまれる)のでしょうね。
重圧と言うのでしょか?金メダルを獲得して「はい、現役引退!」
っていうことは中々しいものね。
時間もお金も莫大に掛けて来ていますものね。
運動と言う祭典は最終的には誰かと競い、優勝を決めるが、
人生って、私の人生を振り返ると、
         生まれた運命と闘って来たように思った。
何一つ悩みの無い人生をおくる人はいないでしょう。
目に見える勝ち負けではなく、何度も何度も押し寄せる苦悩や辛さ
から逃げることも出来ずに戦って我慢して生きている気がする。
時には世の中に流されて過ごそうともするが、
           気付けば抗って(あらがう)いる自分に気付く。
日々、人生に疲れて来た私は、あんなにしてまで身体も神経も
 追い込んでいくことに申し訳ないが疑問を感じるのである。
そうでなくとも、目まぐるしく変わる世の中と、間違いなく進む時間。
あんなに自分を追い込んで行かなくても、誰でも人生は苦悩の
続になるし、それに気づくのが老後だと言うことになるだろうと
思うのです。
若い頃から心身共に成績を上げる事ばかり目標に掲げ、人並み
外れた努力が出来る環境が作れる者も一握りだろうと思う。
 
運動音痴で競争嫌いな私ですが、人生の見えない敵との戦いは
昔から今も、今後も続いていくのでしょう。
最終的にスポーツは自分との戦いだとも言えるようですがね。
歌う声も、頑張って歌ったり声を出すことが健康に良いと思われま
すが、それは大きな勘違いです。
      そんなのは『百害あって一利なし』そのものです。
カラオケの機械から流れる音や音量に負けないように歌ったりして
も、合唱団や個人レッスンで発声や難しい歌を習っても、行きつく
所は、その事自体が楽しいか❓ではないか?と思うのです。
国によっては、家族や誰かを養うために戦う者も要る様だ。
また歌を歌うという事も誰かや機械と競って高点を取ることで
歌が楽しいと思える者は先が見えてしまっている。
競わずとも、歌うことが好きであることの幸せこそが本物だと思う。
五輪競技でも何でもそうだが、好成績を上げている間は良いが、
必ず衰えて思うような成績が出せなくなったり、怪我や病気が襲う
事も増えて現役引退となる訳ですものね。
それは運動だけではない。オペラ歌手もアイドル達も同様の様だ。
     此処にも印刷の関係で無駄な行を入れますごめんなさい(≧▽≦)
 
合唱団も同様と言っても良い。
自分の声が好きで、更に上手くなろうと勉強したり、合唱団に入っ
たり個人レッスンを受けても、自分が楽しく歌いたいと言う路線から
どんどん遠ざかることに気付かない人は多いように思う。
中川さんと言う私の好きな高齢男性と話していて面白かったのは
最近入会された75歳の男性。この彼は歌をとても沢山知っていて
感心するし、そんなに変な声でもないが、ハーモニーパートは好き
ではないようだ。他の70歳を超える女性も「今までは姉がとても
麗な声なのでメロディーを歌い、何時も私がハーモニーなので、
先生の所で先生がハーモニーを付けて下さるととっても楽しい」と
何度も言ってくれている。
中川さんの話に戻すが、最近入会した男性は「恐らく沢山のお稽
を受けたり合唱団を渡り歩いたのではないか?と思われる。
しかし、所詮男性は、余程男声合唱でない限りメロディーを歌うこと
無いし、ましてや独唱をする事も無い。なので自由に歌わせて貰
る更科講座は楽しくてしょうがないのではないのだろう」と言う
が面白かった。
確かに私のどの講座も必ず3~5曲は好きな歌をリクエストする様
にしていて、それは『自分の歌いたい曲を誰に遠慮することなく、
自分の声で曲目を言う』という事は実はリトミックなんです。
常に指導者からの指示の曲ばかりを歌うのではなく、
      自分の『主張』も大事だという事を伝えたいのです。
その事が楽しいのか?新しく入会した男性は毎回図書館で何やら
調べて私に質問をしてくる。当然と言うか?幸いと言うか?実力や
知識が有ると言おうか?今までは完全に納得させられる回答をし
て来ている私である。そして2枚は差し上げたが残りの2組のCD
は買ってくれていてそれを丁寧に聴いているようで、その歌い方に
も質問が来るし、ご自分が知らなかった歌は一早く覚えようとする
し、好きな歌でもっと上手くなりたいと思う曲は毎回リクエストをして
くる。どうも独唱をしたいようだ。そしてその期待に応えてピアノ伴
奏をしてあげるが、時にはそれが続く時は私も一緒に歌いながら
ピアノ伴奏をすることもある。個人レッスン講座ではないですから。
そうした言動こそ
「今まで自分の希望が叶わなかった所に更科講を見つけ
      満喫しているのではないかと思うよ」と中川さんは言う。
スポットライトを浴びて独唱を披露するなんて、プロになり、時に
私の様に個人事業主にならなければ、何処かの団体に入っても
必ず主役やステージが与えられるなんて有りませんからね。
詰らない解釈や誤解の中で、誰かの価値観に填め(はめる)られよ
うとして歌の本当の楽しみを阻害されてはいないでしょうか?
五輪を目標に努力を重ねて来ても、その後の人生において、その
経験がどう活かされるか?が本当の勝負であり苦悩だと思う。
   此処にも印刷の関係で無駄な行を入れますごめんなさい(≧▽≦)
 
歌の専門家としてこう書いているが、昨日のブログに
『愛の讃歌』を『愛の賛歌』と書いてしまい、何か可笑しい気がして
いたが夜のニュースで最後にこの歌を歌っているシーンが出て、そ
の曲のタイトルを見て慌てて確認したら矢張りっ!『愛の賛歌』とな
っていて急いで修正した。23:45だった。ギリギリセーフでしたOK
 
 

 

 

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