昨日のブログに恐らく私の存じ上げない方から「素直な方ですね」
というコメントを頂き、とっても嬉しかった。是非、昨日のブログを
もう一度開いて最後のコメント欄をご覧くださいませ。
この方が私の前回のブログのどの部分を気に入って下さったか?
どの箇所から私を素直な人間と感じて下さったかは追求しない。
何であれこうして何方かのお目に留まり、感想をコメントして下さる
ことがブロガーと言う者にとってどれ程嬉しいことでしょうか?ラブラブ
 
10余年前や25年前は数字が分からない程に生徒や受講生が
いたが、今は数えられるほどで、それも皆高齢者となり、自力で
「更科寿子のブログ」をご覧いただける方は本の僅かです。ご家族
の手を借りて見るだけは見られるが「良いね!」をする遣り方なん
て分からない人ばかりだと想像して言うので、こうした「良いね!」
やコメントを送って下さることは本当にご縁でしかないと有難さが
倍増します。八王子の伊藤さん、お元気ですか?
            先日、浜里さんと偶然にお会いしました。
 外谷さんはお二人にお会いしたいと言っていますよ~~~ルンルン
 
私が毎日ブログを書き続けている意味を何度も書いてきましたが、
優劣を付けられない1番は、私のガス抜きと、世界で唯一人の
【ヴォイスセラピスト】という肩書を見つけた私ですが、その意味や
その方法や遣り方や考え方や行動はどのようにして感じ、発見し、
実行しているか?をお知らせする意味なんです。
     此処に印刷の関係で無駄な行を入れますごめんなさい(≧▽≦)
 
「自分の声を好きになりましょう」と言って来ていますキスマーク
生きる上には、衣食住そして声びっくりマークとも伝えて来ています唇くちびる
それが出来ない理由は、自分の中に存在することを、
     沢山の生徒や受講生を指導して見つけた事です。
その中(原因)の多くは、他人や家族からの批評や意見や教えを
  鵜呑みして、自分に原因が有ると思ってしまう事ですブー
殊に日本人は、他人からどう思われるか?をとても気にします。
ですが、よ~~~く考えてみて下さいうーん!?
家族を含む、自分以外の人の考え方や感じ方や価値観は
            千差万別であることは言わずもがなである。
聞きたくない、聞いても詰まらないという話を聞かされることはよく
ありますが、そういう話をしている側はその話は相手にとって、
面白いとか為になるのではないか?とか
     自分の価値が上がると思って喋って来るのです。
つまり、どう想像しても聞く側の感じ方なんて理解不能です。
更に言えば、自分の都合の良いように感じて喋っているのです。
「お人好し」とも言われる日本人であるし、自分の意見をはっきり
 言うと相手との仲が悪くなる危険性を感じてしまう事も多い。
私もなるべく家族であれ誰であれ極力喧嘩をしない様に会話を
心掛けているとも書いてきた。
そして、以前にも書いたが、日本人は往々にして
褒め言葉は嫌味や社交辞令と受け取り、
     非難や否定や苦情は過剰に受け入れるブーと書いてきた。
これが日本人の良くない所だと思うのである。
しかし、一方では自分以外の他人の受け止め方を無視すれば
済むという簡単な事でもない。
一人では生きられないこの世界で、自由奔放に言いたいことや遣
りたいことをすれば集団生活は破綻したり戦争になる危険もある。
もっと違う角度で言うと、自分に向けられた苦情や注意や意見や
批難や否定は、言う側には「相手に気付かせてやった」という
自分の正当化を感じているものなのだ。
本当は言いたい側の鬱憤を晴らしている事の方が多いと思うが。
公私ともに「教える・指導する」という事自体、
そのことは間違いないことを伝えていると思って話すものです。
そんな指導や教えも考え方や感じ方や価値観もどんどん変化し、
昔はそれが正しかったからと言って、
   今も通用するとは限らないことに中々気付かないのである。
 
私はよく、「前向きですね」「行動力が有りますね」と言われる。
私だって批難や否定や苦情を浴びせられれば潰れてしまいますガックリ
ですから、この「更科寿子のブログ」はそうした感想を受け付けて
いないのです。私の唯の呟きですから・・・ニヤリてへぺろ
    此処にも印刷の関係で無駄な行を入れますごめんなさい(≧▽≦)
  
ご自分にとって僅かでも何かの役に立つと思って頂けたら
幸いなんです。そしてどうしてそういう考え方に漕ぎ着けたのか?
そういう価値観に行き着いたのか?
  を知る上での私の日頃の様子を言葉と写真で公開しています。
面倒で自分に被害を被ると感じることは極力無視したり避けます。
今は夫との関係がそうで、何一つ情報は要らないのです🙊🙉🙈
そうしていても火の粉が飛んで来る事も珍しくないのも現実です。
 
先程、Outlookを開いてみると「ブログに関して」みたいな題で
何かが送られていた。よく見るとどうも怪し気である注意如何にも
想を言っているように書いてあるが、それもこのアメーバブログ
からではなさそうだ。ですから、直ぐに削除して誘導されそうになっ
たアドレスにはアクセスをしなかったOKですが、こうして昨日は
 恐らく見知らぬ人からの素敵なコメントを頂いていたし・・・
矢張り大谷翔平選手ではないが、携帯電話にせよ、パソコンにせ
一度は疑う余地を持つ必要もあるこのSNSのネット社会である。
 
確認ですが、この「更科寿子のブログ」へのコメントは
        この画面の最後のコメント欄からお願いします。
これも以前書きましたが、人間は
相手を信用することは楽ですが、疑うことは辛く危険だと感じる。
ものだと書きました。意外と逆に思ってしまいますよね。
相手が自分に害を与えないと信用したい、つまり、
自分には悪い人の縁は無いと思いたい。で・す・が~~~ねっえーん
反対に、自分に頼ったり、良かろうと思う話をしてくれる人を疑うの
は失礼だとか、時には『こんなチャンスを逃すのは勿体ない』と
思ってしまうのかも知れません。私もそうですからお母さん左差しむかっ
 
『本当に大事な用事だったらまた掛け直してくるわよ』と
何かで取れなかった電話の時に言う言葉であるが、
 ご縁もそうだと思うのです。必要な運は再度現れるものです。
うまくいかなかった事を不運だと思う必要はなく、
 その縁がもしかしたら腐れ縁や不運の縁だったかもしれません。
私は今回もそうですが『私を採用しなかった会社や店は、勿体ない
ね、こんなに素晴らしい人材が目の前に有りながら手放すなんて』
と思うのです。
それは、20余年前に「ペアーレカルチャー」がいきなり閉鎖の知ら
せをよこし、慌てて色々なカルチャーに履歴書を持って会いに
 行ったり、電話で面談や詳細を伺うも門前払いだったと書いた。
その時は本当に肩書の重さを感じさせられたが、聖蹟桜ヶ丘の
あるカルチャーでの面談で「こういう貴女なら引く手余多ですよ。
我が社の様な小さな場所では勿体ない」と嫌味ではない様に思え
   此処にも印刷の関係で無駄な行を入れますごめんなさい(≧▽≦)
 
る言葉を掛けてくれた人が居て、耳を疑い「引く手余多」と
Google検索をして、更に驚き、本当に自分にはそんな力があるの
か?と自問自答していた程である。
そしてその後直ぐに、今の読売カルチャーからの
「うちに来て下さい」という嬉しいお誘いに直ぐに了承し今が有る。
 
娘の幼稚園入園に、御茶ノ水幼稚園を受験したが、最後の最後で
落ちたのは娘のせいではなく、通園時間と母親が仕事をしている
か?専業主婦か?の部分だと試験官のメモの蛍光ペンで知り、
賭けだった。そして落ちたから当時の
「厚生省外郭団体カルチャーペアーレ」にご縁が出来たのである。
あの時に「御茶ノ水幼稚園」に受からなかったことは幸運だった。
 
        
夏の様な春ですね。五月の花であるアイリスと言うか?アヤメと
うか?前の家が建つ前のこの暖かな日差しを喜ぶかの如く2段
に置いた植木鉢から上の段を突き破ったように気持ち良さそう
咲いていました。去年までは咲いていなかったように思います。
矢張り光と暖かさは花には大事なんですね。
今日の様な強風でも、今年に入って取り替えたガーデンラック
陰で、こうした今迄には陰になっていた植木達が陽に当たり隙間に
伸び、更に上手い事垂れ下がったりこの花の様に上の棚の
から顔を出しているので、倒れたり折れたりする心配もないのは
偶然の賜物。古くなったガーデンラックをメルカリから新品を買い
苦手な組み立ても自分一人で頑張った成果です。イエェーイチョキ
      
様々なつつじやアザレアやそれに似た花達です。
      それに2種類のシクラメンも可愛いですよ。上差し
今年は黄色と赤に縁があるようですスター
 
 
 
 

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