開花が遅れていたソメイヨシノもほぼ満開になり、
       本格的に春本番です。 
天気も安定せず、体調悪化も仕方がないと思うしかないようです。
体調不良に伴い精神的な面でも落ち込みやすくなるが、
        このところ新しい生き方を模索してる中なので、
新社会人になったような期待と不安に満ちた日々を送っています。
もっと言えば、職業訓練校の面談の合否と再就職求人応募の
返事が来ないこの数日が丁度学生の合格発表や新入生の気持ち
に似ている。但し大きく違うのは、その経験の多少である。
息子は就職氷河期の時代の年齢であるし、以前お嫁さんも
東日本大震災後の就職活動で何十回応募しても働く所が無くて、
物凄く神経を病み、息子も恐らく生涯で一番の辛い思いを経験した
と親として可哀そうに思う時期である。
私は幸いに高卒が持て囃され高級優遇で(株)ロッテに正社員とし
て入社が出来、毎年お給料やボーナスは上がっていた時期であり
仕事に溢れることを経験していないと言っても過言ではないが、
一度だけ厚生省外郭団体のカルチャーペアーレが急に閉鎖通告
がなされた時は、カルチャー講師を何処かで雇ってもらえないか?
と東奔西走していた。大雨の日も大雪の日もね。
その時は矢張り「寄らば大樹」の如くに肩書や経歴が物凄くものを
 
         此処に印刷の関係で無駄な行を入れますごめんなさい(≧▽≦)
 
言うのだと思い知らされた。「何処をお出になっていますか?」
「どの団体に所属していますか?」が重要で個人の音楽家は兎に
角門前払いであった。そんな中生徒の一人(佐藤さん)が恵比寿
駅の上に「読売カルチャー」が有るわよ。とそのチラシを持って来て
くれた事で応募したことがきっかけで今に至るのである。
まだその頃は身体も元気でしたし、新宿駅近に住んでいた若かっ
た頃はまだバブル崩壊がそれ程影響しておらず、アルバイトや
パートの仕事は、そこら中に「急募」の張り紙がしてあったほどだ。
今までに務めたアルバイトは勿論高級クラブ等の水商売が一番か
二番に長いが私は大概どの仕事も余程でない限り長く頑張って来
た。ラーメン屋はお店の閉店で退職後、息子が生まれるまで6年
間務めたのは経理補助である。練馬区に引っ越してからがモスバ
ーガーからアンテンドゥのパン工場やお運びさんもしている時に
今の戸建てに引っ越し、オリジン弁当やパンやルパも働いたなぁ。
怖いもの知らず!と言えばそうだし、若かったとも言えるが、
兎に角働いた。26歳でピアノの個人レッスンを開始し(19歳で
ピアノは少しだけ教えたことも有る)38歳でカルチャー講師となり
その間に【ヴォイスセラピスト】として個人契約での仕事形態になり
『音楽教室 ルーエンデ ゼーレ(ドイツ語で心の支えの意味)』を
立ち上げた。「飛ぶ鳥を落とす勢い」で発展していった30年である
しかし、世の中は何時までも幸運は続かないことを実感している。
30年の走り込みがまだ身体に染みわたっているのに、
 世の中は大きく変化をし、体調は悪化し、仕事も危うくなった。
若さと気力ややる気だけでは結果が出せないどころか、半歩すら
踏み出せないもどかしさに喘ぎ、不安や苛立ちを覚えるのである。
昨日もPCの不具合で相談していた彼が車に例えて説明してくれた
が、確かに新車なら少々の事があっても走れるのだろうが、
中古になればなるほど少々の事でも止まってしまうし、
  中々修理も上手くいかないだけでなく、修理費用も嵩んでくる。
PCも人間の身体も同様の様である。
今日も荻窪センターの帰りにタウンセブンのエレベーターで地下
1階から1階に行こうと優先エレベーターを乗ろうとして、先に車椅
子の相棒とそれを押すお嫁さんが入りその隙間に相棒のカートと
私の大荷物を引き摺るながら乗ろうとすると、奥から40代位の気
った感じの男性がドアの方に出て来たので「奥に入って貰えま
んか?」と言うなり「直ぐに下りるんだ」「はい」と返事だけした。
「1階で下りるムキーびっくりマーク「私も1階で下りますからここに居ます」とドア
ギリギリにへばりつく様に立つと「そうすりゃぁ良いんだびっくりマークムキー」の
声に周りの人々は目を丸くするびっくり驚きそして直ぐに1階に着き
ドアが開いた瞬間に私は下りてやや離れた場所で相棒の車椅子
を待っていると、先程の男が下りて来て
          私を凄い眼で睨みつけて通り過ぎたガーン
     此処にも印刷の関係で無駄な行を入れますごめんなさい(≧▽≦)
 
「お先に」とでも言って下りれば睨まれなかったのだろうか?うーんはてなマーク
父や私を可愛がってくれて私も大好きだった樋木幸次郎さんの様
な威厳が漂うお爺様って端的に
     「どきたまえ」だけて周りは背筋が延びますものね。
超正義感の塊みたいな私は、若かったら一言文句を言っていただ
うが、以前も書いたがACジャパンの放送の中で、
横断歩道を歩いている時にぶつかりそうになる40代位の男性の
会話についたコメントがとても良かったが正式な言葉は忘れた。
陶器と陶器がぶつかれば割れるが、どちらかがゴムや緩衝材なら
ば割れない(喧嘩にならない)という内容であった。
息子の理不尽な態度の時も、この言葉でぐーーーーっと我慢した。
今回も「優先エレベーターですがね。奥に入ってくれても良いんじゃ
ないですかっむかつき弱者虐めや高齢者虐待に当たりますよびっくりマーク」とでも
言いたかったが「では、ここに居ます」とぐーーーーっと我慢した。
同じエレベーターに乗っていた人全員が唖然としていたと、
   車椅子を押していたお嫁さんはあの凄さに驚いていた。
私はどうも喧嘩を吹っ掛けられやすいショボーンもしかしたらそんなに威圧
的に聞こえる様に言っているのかも知れないが、しかし、その後に
乗ったタクシーでは「お久しぶりです」と声を掛けてくれた和泉さん
という運転手「覚えていますよ。先生は最初に乗られた時に『運転
手さんは最初に見た時や怖そうに見えたが、こう走っているととて
も感じの良い人ね』と言ってくれて『この方は物事をはっきり言う
(言える)人だと』印象が強いんです」と会話が弾み出した。
私は【ヴォイスセラピスト】ですびっくりマーク世界で唯一人の【ヴォイスセラピ
スト】ですもの、安っぽい会話や下手な表現はしない様に、そして
一段上の会話を目指して話をしますのよウインクそれでその人を見てい
るのですチョキ私を甘く見ると怖いですよ~~~ニヤリ(怖くないわよてへぺろ
我慢が出来るようになるには、矢張り歳を重ねなければうまくいか
ないようです。若い方が折れることは相当出来た者でない限り、
無理に近いですし、若い方に折れられた年上は立場が無いよね。
言い返すことを我慢するって暫くむかむかするが、もし我慢する事
をせずに問題を大きくしてもその対応に疲れてしまう気がするブー
相手を遣り込めても、勝ったと思っても
    〈くだらない労力の消耗になった〉と、きっと思うのである。
身体も頭も能力も衰えてはいくが、その代わりに
我慢や許すことや受け入れること、
   見守ることを身に付けるのが【老人】だとも言えるでしょう。
それが出来ない我が夫の様な輩は、唯の年寄りでしかない。
〈立派な大人は小さくとも薄くても徳を積む〉という言葉を昔教えて
貰ったことがある。偉そうに強そうにしなくても、
我慢や許しや受け入れるなどの事は徳を積むことになる様だグッ
間違っても得を積もうとするとひっくり返りますよ笑い泣き
    此処にも印刷の関係で無駄な行を入れますごめんなさい(≧▽≦)
 
「先日の二階さんの逆切れっぽい会見は笑えましたよね爆  笑」と
  今日のタクシーでの4人の会話は弾みました。
二階俊博さん85歳。
バイデンさん81歳。随分見た目も言動も責任感も違うものですね
もしトラのトランプさんは77歳だそうですね。やはり8歳も若いと
  日本の喜寿ですが若いですね。言動も想像もね・・・
比較にならないが、上皇明仁様90歳・上皇后美智子様89歳は
やはり人並み外れていらっしゃいますね。
 あぁした高齢者に憧れますぅ~~~
     生まれと育ちと、生まれ持ったお人柄なのでしょうね。
 
 
 

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