





①劣等感に苛まれたり(さいなまれる)するのも人生なのです。
自分以外の人と比較しなかったとしても、一般的にはという数字や
結果というものが存在するのは沢山ある。時には標準と言うしね。
コンプレックスを力に替えて素晴らしいねと②褒めて貰ったり、
③自慢したくて前回の内容を書いた訳ではないのです。
強いて言えば④こうして文字に書けるまでに至ったという事です。
コンプレックスは人から言われて⑤酷く落ち込むものもあれば、
⑥勝手に自分は劣っていると落ち込み、
他人から見ればそうは見えないということも沢山有ります。
日本人は欧米人に体格や容姿や言葉や文化や歴史にコンプレッ
クスが有る様に思うのです。今でこそ大谷翔平選手を始め、
世界で目覚ましい活躍をしているスポーツ選手や研究者も沢山い
らっしゃいますが昔は鎖国が良い結果を齎して(もたらす)いたことも
あったし、往来も情報も今とは比べられない遠い国であったのだ。
良いも悪いも情報過多となりあっという間に外国に行かれたり、
家に居ても通信が出来てしまう世の中になり、
比較することは更に容易になった。
「世界に一つだけの花」の歌が大ヒットした頃は殊に自分の
個性を大事にしましょうというメッセージの多い曲が多かった。
とは言え、個性を伸ばし、自由に言動し、
余裕の生活が出来るだけ稼げるなんてまぁないでしょうねえ
ムーミンの背景は第二次世界大戦であるから自然と自由と個性
協調を軸に深い内容が伝えられていると再確認する毎日です。
今の様に相当自由を与えられると、自由と言う事への不自由を
嘆き不平不満を言う息子みたいな輩が生まれると思うのです。
社会人として生き抜くには、
ある程度の規制や柵(しがらみ)は当然である。
その点自己陶酔の意味の⑦ナルシストや⑧自己中心的な自己中
の人はそのコンプレックスを抱えている⑨自分が可哀そうで
⑩それに酔いしれているのではないかとさえ思えることが多い。
「貴女は良いわよ。私なんか~~~」と言う文句は常套句である。
コンプレックスをこんなに持っていても私はこんなに⑪一所懸命に
生きていますって自分に言い聞かせてそれをバネと言う力に変え
ている人も居るでしょうし、⑫妬み節(ねたみぶし)の様にしょっちゅう
コンプレックスを言葉にする人は、それで⑬同情を買いたいのか?
とも思ってしまう。
「私はこんなに出来ない、みっともない、みすぼらしい、
恥ずかしい・・・・が⑭責めずに許して下さい」とも取れてしまう。
ですから、ただコンプレックスと言っても
内に秘めた訴えって様々だと思いませんか?
まぁ言えることは余り自分の弱さや醜さがオーラになって
人に分かられるのは良いことではないと思うのです。
出来得れば、コンプレックスという言葉より、1️⃣苦手や
2️⃣欠点と言う言葉に置き換えるのも良いかも知れません。
直し(治し)様のない事柄の容姿や生まれ育ち等は
3️⃣個性と捉えるのが良いと思うのです。
胸の奥の奥に隠し持ってどんどん陰気になる様な他人との
比較こそ自分に更なる苦悩を積み重ねてしまう様に思います。
そして自分のコンプレックスは自分でしか処理できないのです。
まぁ時には4️⃣時代変化が後押しをしてくれることも有りますから、
5️⃣自分の努力は不可欠です。
🔯他力本願は無理だと思った方が良い。
追加しておきますが
「私はこんなにも苦労をした」
「私はお金が無い」は極力、そして真剣に言うことは
100%良い方向には行かないことを自覚してくださいね。
それで「貴方はご立派な人生を歩まれました」と
称賛してくれる人は一人もいないと言う事もね
💘嫌がられて、笑われて、遠ざかられるだけですよ