小学校6年生で既に164㎝の身長と靴のサイズは25㎝だった。
体格は優れていたのでその年の長野県の健康優良児童に選抜さ
れたが、運動能力と学力で予選落ち。
中学生では既に167.5㎝まで伸びていたが
学力も体力も伸びてはいなかった。
生まれ持っての父親譲りのお節介焼きと異常とも思える正義感で
信頼が厚いどころか嫌われ者だったように思う。
高校生の頃のその出来事は以前に書いてある。
社会人になり、確かに「箱入り娘」でひ弱に育ったのかも知れない
私は随分煮え湯を飲まされたり危険な目に遭ったことも以前に書
いた。
ある時、TVで黒柳徹子さんが歌番組の司会をなさっておられた姿
に目も耳も止まった
あんなに年の離れた若輩のきゃぴきゃぴアイドル達にも綺麗な
日本語で話しかけているのに全く違和感が無いのである。
その日から上等な言葉を使っても雰囲気を壊すことはないのだと
綺麗で上品な日本語を学ぶようになる。
それは会話と言う経験を積むことで身に付けることであった。
当時厚生省外郭団体のカルチャーペアーレには常に満員の
150名が受講してくれていた、やはりお育ちの良さそうな方も沢山
いらしていて、更に家族の誰かが東京大学卒だと言う女性もかな
りいらした。そうした受講生に笑われない様にする為にも、
綺麗な言葉を使う必要を感じていたのだった。
言葉は人を表します。
いつもの喋りを変えるのは意識すれば必ず変えられます。
此処にも印刷の関係で無駄な行を入れますごめんなさい(≧▽≦)
私は中学生の頃から一人で上京を決めていたから、なるべく
飯田弁は使わない様にしていたのだった。なので今でも地方出身
者だとは思われないことが多いが一度だけ静岡県人ですか?と
聞かれたことがある程度である。
嫌らしいざーます言葉は使う気にはならないが、名実ともに
裕福で憧れの恩師松田トシ先生の言葉もとても綺麗でした。
更に45歳の時に自分の体格への偏見を直すきっかけは、近くの
信用金庫に行った時に「上の者(上席)を呼んでまいります」と
言われた時に、それまでは責任者や代表とか社長とか言う
肩書に、一歩引いていたのだが、そういう立場の人って
今の私の年齢のおやじなんだと気付いたのだった。
そして1つ最低でも10万円はする高価な帽子を被り姿勢も考え方
も変えてきたことも以前に書いた。
カルチャーの仕事も順調になり、高校時代の合唱部の伴奏をして
いた同級生が東京の国立音楽大学か?武蔵野音楽大学を卒業
し、田舎でピアノの先生としていると耳にした時から、どこか私は負
けたと感じ続けて来ていたのだが、自宅にお出でになる生徒や
カルチャーの受講生の反応や私の指導者としての評価も
うなぎ登りだと感じた時にそのコンプレックスも解消できた。
夜間の音楽学校に通いながら新宿の高級クラブで7年間アルバイ
トをしていた時には如実に美人を指名してくる客ばかりだった。
ホールと言うボックス席での接待は初心者は座らせて貰えなかっ
たが経験を積みボックスに座るようになると(初心者はカウンター)
「あっ、ここの席は○○のだから」と私を頼ってその店のアルバイト
をしに来ていた同じく(株)ロッテの美人の女工さんを指名し、
更にもう一軒掛け持とうとコンパニオン募集の張り紙で店に入ると
「うちは綺麗な女性しか募集していません」と門前払いされた。そん
な辛い思いをしながら働いていた時に初めて来た客の男にその晩
にプロポーズされてその夜から今迄夫婦でいるのが癪に障る
結婚をして奥さんとなったことで、アルバイト先のこれまた素晴らし
い女性から着ている服や言葉遣いも、奥さんらしくしないと
旦那さんが笑われると言われたとも以前に書いた気がする。
先に出て来たアルバイト先の素晴らしい女性に注意された言葉の
一つが「だから」である。
「ですから」や、まぁ一歩譲って「なので」が綺麗ですよね。
そんなこんなで二人の子供には「お坊ちゃん・お嬢さん」に育てた
かった。すると息子が小学校低学年の頃に背中にバイオリンを
背負わせて赤塚駅から池袋駅に通わせていた東武東上線の車内
で「坊ちゃん、お金おじさんに頂戴」って言われたと息子は驚いて
話したことがある。まぁ背中にヴァイオリンを背負わせていりゃぁ
此処にも印刷の関係で無駄な行を入れますごめんなさい(≧▽≦)
坊ちゃんに思われるのは仕方がないかも知れませんね。
品と資産のある人が憧れるのは悪い事とは思わない。
お金や他人との比較は全く気にならないし、比較は無駄だと誰も
が言うが、果たして本当にそう思っていますか?
社会の中で生き抜いているとどうしても周りを意識するのは当然で
す。そしてある意味切磋琢磨や夢を持つようになるのではないでし
ょうか?
山や奥地の人里離れた孤立生活をしている人や家族が時々
テレビに映りますが、
老後を考えると今の世の中簡単ではないですよねぇ
我が夫もたまに汚い言葉遣いをしたのでとても嫌だったから、
二人の子供には常に綺麗な言葉で育てたつもりである。
嘘かお世辞か二人の子供の人様からの評判はとても良いのは
嬉しいがねぇ・・・内弁慶でしょうか?
先日、ペアーレからの受講生と思い出話になり、その男性は
「先生は最初からお嬢様~~~って感じだったよ」と言われ驚いた
のだ。「今はどっしりした感じになったが、昔も品が良かったよ」と。
そして確かに私の曽祖父は皇居の二重橋を作った宮大工だと
聞いていると話していることも忘れていた。
「宮大工の曾孫だもの。誰しもなれる職業じゃないよ。
その品の良さの血が流れているのだよ」と言われ更に驚いた。
音痴もコンプレックスだったが、カセットテープからMDに切り替え
た時と松田トシ先生の指示を仰いだことでコンプレックスは無くなっ
た。
容姿もワンピースやスカートを穿くと足が綺麗だとどれだけ言われ
るか?そして衣装をオーダーメイドした時に「先生はお尻が小さい」
と言われた時も耳を疑った。錨肩で着物が似合わないし、
外反母趾の手術を2回も受けているので緒の物が履けない。その
分私の洋風な体形はドレスが映える(栄える)と自分でも思えた。