今迄はテーマや構成など全く考えず、頭や指が動くままに書いて
来たがさすがに100回目は何を書こうか
その前の99回はどう書こうかちょっと考えたが
やはり思いつくままにスタート
8/10の大宮の講座では、以前書いた(ブログNO.52)私のブログ
を見て来てくれたKYさんの2回目のお稽古だった
本来ならば3回目になるお稽古だが、台風接近のニュースで急遽
変更した為に回数がずれた。
最初に会った時の表情から、1ヶ月間を置くと滅入ってしまう気持
ちが増幅しないかと心配だったが、1回目のお稽古終了時には
表情が前向きに変わりそうに思えたので、
彼女の心の変化を信じようと、1ヶ月後のお稽古は正解だった。
今回のお稽古終了時に彼女は「実は先生・・」
この「実は…」という言葉が投げ掛けられると、《良し成功》
つまり相手の心の奥の重い蓋が開くと感じる手応えなのです。
「4月に母が亡くなっってそれも原因の一つかも知れません。
毎日母に一日の出来事を話しています」即座に私は声を掛けた
「お止めなさい。
そんなに何時までも亡き母に話してもお母様は疲れてしまう。
姿は見えなくなったとしても御霊が常に近くにいると感じるわ」
78歳で父は他界した。18年間一緒に暮らしたが夢を追って上
此処に印刷の関係で無駄な行を入れますごめんなさい(≧▽≦)
京して以来、遠距離で暮らしていた。母と程は会話はしないが、家
を買う時や主人の多額の借金が判明した時などは相談していた。
50回目の結婚記念日の12/15
49日が母の誕生日等
なんと凄い日を選んで人生と閉じたんだろうと驚いた📅
私のリサイタルが私の誕生日の12/17の予定されていた
12/15通夜・16日葬儀、告別式で上京し17日には
予定通りリサイタル開催💐
不思議である。肩の辺りに父がいる 遠
方で暮らしていたのに距離が無くなったと感じた。
KYさんに普通なら失礼な言葉かも知れない
「お母様に声を掛けるない方が良い」と語気を強めて言ったのは、
大好きな○○さんを片時も忘れませんよ
という一見よさそうに思える言動だが、
何時までも親を頼る事は親孝行だろうか
もう独り立ち出来るだろう
と思えてから親は親の役目と人生が終わるのだと感じた。
その姿を亡き親はすぐそこで見ていると感じる。
父は私の斜め前から私の顔を覗き込むかのように見て
「大丈夫だな良しよし」思っている
って感じがしますのです
親は子に対して死ねまで親だと実感する毎日
頼られる幸せを感じることもある。親として
だが、どんな生き物も動物も、親の一番の望みは
子が一人前に自立して生き抜く力が身に付く事である。
自分にとっては母だったが、向こうの世界では
母のまた両親に会えたとしたら母は子になるわけだ。
何時も傍にいてくれることが幸せと思うのは
親放れが出来ていないという事。
家系図を遡って行けば色々な血縁関係が判明され、
それらのDNAが後世へと脈々と受け継がれて時代が進んで行く。
終戦記念日や広島、長崎の原爆投下の日等 人間は過ちを犯し
ながら、後世をより良くしようといつの世も奮闘し続けて今が有る。
素晴らしい発見や能力も開発され、
一般的言う「文化的な生活」を手に入れて来た。
進駐軍の家族の生活が羨ましかったとその当時を知る方が仰っ
ていましたが、今や同じレベルの生活が出来ています。
個人差は勿論有りますが・・
此処にも印刷の関係で無駄な行を入れますごめんなさい(≧▽≦)
人間の始まりが、アダムとイヴだとすれば、
先祖を遡って更に遡って行けば人類皆家族👪
色々なDNAを混ぜ合わせ自然界で取捨選択して新しい生命が生まれる。そして、生きる。生き続けることにより【個】が確立される!
2024年5月30日修正(68歳)
更科寿子のホームページ
ここの色の付いたアドレスを触るだけです