編集しますヾ(@°▽°@)ノ
総合学習
モビールという言葉を忘れたり知らない人も増えたこの時代
練馬区北町3丁目のマンションの10年。
この家で丸19年(1999年8月に購入)
以前のマンションに住んでいた頃、
今29歳の娘が小学校低学年の頃の作品である。
その辺の棒っきれを拾い、木の実や葉っぱや工作や何かに描いた
絵などを棒の端に木綿糸で結びつけて最終的に一番上の
一番長い棒のバランスを取って飾るものである。
母親に気を使ったのか針金でト音記号が作られている。
プラスチックの板に流行りのピカチュウが描かれている。
銀紙を丸めて人らしきものも吊るしてある。
沢山な引っ越し荷物の中にちゃんと壊れずに運ばれて来た様で、
私の寝室の天井に今も吊るされていて、
すこしの風でも気持ちよく回っている
可愛いじゃないですか
こういうことこそ活きた教育だと感じる
理科も社会も、算数や数学も図画工作や家庭科も・・・
そしてエコいくらでも直せる
お金もかからない
此処に印刷の関係で無駄な行を入れますごめんなさい(≧▽≦)
勿論パソコンだのiPadだのの教育も大事なんだろうけれど、
創造力や創意工夫、挑戦と達成感
体力や能力や記憶力や知識が無くても
誰でもその辺の落ちているもので楽しめる
約20年間糸さえ取り換えていない。
本の0点何ミリでも糸の位置が動いてしまうと、
極端に縦になってしまうこともある。
一寸焦る 壊れてしまったのかと・・・
それが直せるヾ(@^▽^@)ノ
それも勘物差しで測ったりなどしない
レシピ本を見て作る味気ない料理に似ている。
おふくろの味の決め手は〈勘〉つまり【適当】(アバウト)
砂山を作って上から水を流す遊びも、
地理や理科など実践勉強だそうだ。
ドイツでは建築家(マエスト)になるには、
作曲が出来ないとならないという規定があると聞いた
作曲、つまり音楽はとても多くのことが求められて出来ているとい
う認識だそうだ。
確かに、数学もあり、社会科、勿論音楽科
何より想像力と表現力が物を言うということかららしい。
日本のように、上から目線で先生や指導者が、自分の記憶の中だ
けのことをオウム返しのように覚えさせる教育は真の教育では
ないし、実際に生きて行く上にどれだけ必要な内容だろうか
専門的な知識は、習う側に興味を持たせられれば、自然と追及し
たくなるものだ。そういう者にはとことんアドバイスをすれば良い。
オールマイティのような万能人間をつくって、
同じよな事しか出来ない奴らの集団では社会は成り立たない。
得意・不得意。得手・不得手があるから
其々の必要性が増すのである。
先生という立場の人は、
得意分野を難しく教え込むのではなく、その分野の
面白さを伝えれば済むことで、点数採点等不要である
テストの点数とは、教える側がどれだけ相手にその分野に興味を
持たせられたか
という教わる側の理解力ではなく、教える側の力量の採点だと
いう事を勘違いして威張り散らしている者は、ただ先に生まれた
という先生であって教育者でも指導者でもない。
此処にも印刷の関係で無駄な複数行を入れますごめんなさい(≧▽≦)
これは指導することを仕事にしている者だけの話ではない。
家での様々な事が全て教育である。
だから誰もが指導者になることも実感すべきで、そう感じることによ
り、今、教わっているこのことをこの指導者は上手く伝えてくれてい
るかを判断しながら学ぶのも大事なことである
(先生)の言う事や親が言うことや態度が全て正しいと
決め込んで学ぶことは危険である
2024年5月22日修正(68歳)
更科寿子のホームページ
ここの色の付いたアドレスを触るだけです