訳があり今は別居している娘からのメールや電話に
一喜一憂する平成元年生まれの娘は29歳。
長期間薬を服用してきて私は、結婚を機に薬をひとまず止めた。
子供が欲しかったからだ。夫にも禁煙させた
婦人体温計を買い何年も付けた
排卵日を把握しその何日か前から夫に禁酒もさせた
自分が食べたものを全て手帳に書いた
親として万全な状態で子供を迎えたかった。
親の過失や手抜きや無責任な行動が理由で、何か大変な状態で
生まれたとしたら、親はどれだけの責任を取れるのだろうか
万全な状況や心待ちをしている夫婦であれば、
どんな状態の子であれそのまま受け入れられる。
しかし、酔った勢いでとか煙草を吸っている生活だとか・・・
そして俗に言う五体満足でない子が生まれた時、
私は受け止められる自信が全くなかった。
子を授かるということは「できちゃった婚」とは違う。
授かるのである。
薬を長期間服用していたせいか3年経ってもその気配はない
その内に妊婦さんを見ると嫌悪感を感じるようになった
ノイローゼ気味になっている自分に怖くなってかかりつけの婦人科
から「慶応病院が不妊治療に長けているから」と紹介状を書いてく
れたので信濃町に二人で受診した。
此処に印刷の関係で無駄な行を入れますごめんなさい(≧▽≦)
不妊治療は、初回は夫婦揃って受診しなくてはいけない
夫もとても協力的であった
その日が初診の夫婦がまとまって説明を受け、
納得が出来る夫婦は検査や治療にすすむ。
北海道や沖縄から飛行機や泊りがけで通っている深刻な方も多く
いた田舎の大きな家にはやはり跡取が必要だとの責任を
背負わされているように思える女性も多く見かけた。
まぁそんなこんなで検査終了後一年以内に授かる確率は
50%だとの説明に当てはまったことになる
しかし、一人子不妊という悩みも多いらしい。
これも幸いに二年後に娘を授かった
妊娠中毒症も何とかクリアーして五体満足に生まれてくれた
がしかし、
娘には皮膚癌があったが生まれた病院では
「ただのあざです…」と説明された。 (ブログNO.65参照)
医者から告知された時、
その日は娘のいびきがあまりにも酷くおんぶしていてもうるさいほ
どで気になっていた、近くに小児科に受診した時にそこに3月3日
という新聞の記事を見て、相談に行くと数人の医師が相談にのっ
ていて、申し込み順で空いた先生に順番に相談できる。
ということで受けた医師が
「僕はJR東京総合病院の医師だから今度いらっしゃい」
という事で受診をし、
清算をしようと並んでいたら形成外科が目に入った
テレビで観たばかりだったので、そのまま当日受診をした。
「これが(あざの中でもテントウムシ🐞のように黒い点が無数に
赤い皮膚の上にある)癌細胞です。直ぐ手術をしましょう」と
その場から入院・手術となる。まだ生後半年弱
膝頭分の赤黒いあざのように見えて、なんと癌
そういう場合は意外に驚いたり悲しんだり落ち込んだりしないもの
だと感じた。
お金は仕事は一歳の息子は…
とにかく片っ端から準備を整えていく
母は生まれたばかりの内孫を世話をしているので、
父に息子を連れに来て貰って3ヶ月田舎で面倒を見てもらい、
私は娘に付き添った
普通は24時間付き添えないが、
特別待遇で床にシートを敷いて私は寝ていた。
半年後に同じ手術をせねばならなかった。
此処にも印刷の関係で無駄な行を入れますごめんなさい(≧▽≦)
あざが大きすぎて一回で切ってしまうと皮膚が合わさらないから、
皮膚が伸びるのを待って再手術となっていた。
無事手術も終え息子も父に連れ帰って貰い、四人生活が戻った。
私はお産で1週間休んんだだけで
ずっと家でピアノを教えていた🎹
成人になってもあざが現れなければ完治ですよ。
といわれ今29歳。生き延びた
(生き延びてくれた)と感謝である(この1行は2024年5月18日に追加文)
が、今頃になって
膝に水がたまるだの何だのと調子が芳しくないらしい
困った。よわった。悲しい。可哀そう・・・何をしてあげられるのか?
今後はどうなるのか?(この2行は2024年5月18日に追加文)
親という者は強いと思う反面、様々な事が起きたり悩みを打ち明け
られた時、聞かなかったことにしたくなることもある。
そして年々アドバイスなんて出来ない
もう勝手に生き抜いてと言いたくなる自分を制する。
私自身の体調を管理維持することさえしんどい。
体の痛みを強い痛み止めを服用してなんとかやりきっているのに、
これ以上
母として何が出来ると言うのか何をしろと言うのか
〈母は強し〉ではない
〈母は強くさせられているだけだ〉弱くいたいよできるならねぇ
お願い助けて~~~って言えればねぇ
今そんな状態だったので、私の良薬(ブログ書き)を
服用しよとこんな時間に書いています。
懐妊が分かった時から毎日自分の食べたものと胎児の変化。
息子が生まれてからは相変わらず
自分の食事内容と息子の食事内容や育児日記を毎日書いた。
そこに第二子が懐妊とわかるとその子の状態を
二人の子供が3歳になるまで自分の食べ物も引き続き記録した。
母乳に責任を持ちたいからの行動である。
母子手帳と一緒にしてある
あ~~んなに子育て頑張ったのに、もう卒業させて欲しいもんだ
でも、完全無視できないのが〈へその緒の威力〉 仕方ない
望んで授かった子だから、一生付き合うしかないようだ
薬が効いたようで
これから凄い台風が来るらしいから、
クーラー掛けて自分のCD掛けて寝ま~~~す お終い・・・
2024年5月18日修正(68歳)
更科寿子のホームページ
ここの色の付いたアドレスを触るだけです