昨晩(実際は今朝の1時)から始まったサッカーワールドカップ予選
の第3戦この戦い方に対して賛否両論があるようだ。
運動音痴で勝負事が嫌いな私は、たまたまつけていたテレビで
その試合をBGMのように流しながら仕事をしていた。
前評判だの各解説者だの予想だの色々飛び交っていたが、概ね
勝利するだろうという評判らしかった。でも中々点は入らない。
そして相手チームに1点が入った段階でテレビを消す。
このような心境を共有することが苦手である。
つい自分に置き換えて考えたり感じたりする性格が原因である。
結果が分かってから観るのは嫌ではない。
深夜(早朝)3時頃だろうか?騒がしい話声で目が覚めた。
「イエローカードがさっ」
あぁやっぱり負けたんだ。とその言葉と声の質で感じた。
こんな時間に帰宅なんてきっとスクランブル交差点群衆だろう。
朝起きると、試合は負けたが決勝トーナメントには進出できたらし
い。詳細は聞いてもあまり興味ないので(あら、そう)ってな感じ
熱狂的なファンの間では戦い方の感じ方を解説者を始め
一般市民まで、多くの方々の意見を紹介していた。
日本は外交や交渉が下手なことは知られている。
日大アメフト部員の
二十歳の選手の記者会見は確かに潔く立派だった。
此処に印刷の関係で無駄な行を入れますごめんなさい(≧▽≦)
何回か書いたシューベルトの「鱒」
戦いは何を優先するか?
見た目や格好良さが
果たして日本人として大事な誇りになるのか?
国民を騙した!国民に隠していた!等と過去の政治や戦争に
関するドキュメンタリーを放送後に発せられる事がしばしばある。
ある有名な何とか学者(わからない)が手の内なんて見せる
外交がどこにある。正直言えば済むと考えているのは幼稚な考え
だ!と痛烈に批判していた。
清く・正しく・美しく・嘘はつかない・人の悪口は言わない・・などが
日本人としてのモラルのように今も言われる。
「人の命は地球より重い」と言った有名なエピソードがあります。
その後の世界の反応にも耳を傾ける必要を感じます。
戦争孤児が畑からトマトを盗んで咎められ大人から酷い仕打ちを
受けた話もあります。
泥棒とわかりつつ、いけないとわかりつつ生きることを選んだ。
許されないし耐えがたいが、
泣く乳飲み子を胸に押しつけ殺さざるを得ない戦争。
正義を貫いて闇米を絶対に食べずに餓死した裁判官。
スポーツと戦争が違うにせよ、
見栄や無口が男らしさの象徴だった時代もある。
世界と戦い、交渉し、上手い間柄を構築するには、
やはり「鱒」ですな
2024年5月9日修正(68歳)
更科寿子のホームページ
ここの色の付いたアドレスを触るだけです