こんな田舎でも東京都か?
という辺りに青梅国はあります。
 
その中でも、
隠れ里的な集落がありまして
前回は黒澤大祭、黒澤囃子について書きました。
 
 
お調べ報告をした成果!
ずーーーっと、興味あるのに踏み込めなかった息子が、
お囃子やろうかな?て気になってるチュー
嬉しい~~~。
と思ったので、
調子にのってつづきを書きます。
 
 
前回紹介した、
100うん十年前に神田黒澤流 を創作?広めた
神楽師若林さんは、黒澤出身ということなんですが。…むしろ小曾木メインなイメージなので、黒澤の名前が残っている事を、疑ってしまうのです…真顔
 
若林さん、
入間の間野から学んだと言うことですし。
入間と黒澤の間にある小曾木で何もないわけがない。
 
小曾木にも山車を引いての秋祭りが密やかに行われている模様……。
そして、
万作踊り
と言う伝統芸能かあるらしい。
 
埼玉を中心とした関東の農村部でみられる、歌に合わせた手踊り。
 
小曾木の万作踊りの動画を見たら
リズムは南京たますだれ~~🎵
みたいでした。
 
その紹介文で
 
*青梅小曽木村の若林仙十郎氏に伝習の万作踊りと言う。既に段物など失われ、現在「愚僧踊り」「浮島踊り」のみ伝わる。
 
ということでウインク
お囃子だけでなく、
万作踊りもプロデュースしてたとは!
マルチです若林さん!
 
で、予想通りな感じで、黒澤じゃなくて
小曾木村出身て書かれてますね
うっすらそんな感じしてたニヤニヤ
だから調べてみたんだけどね~~
残念ながらやっぱりな結果。
 
しつこく調べてみる
 
ウィキペディアによりますと下差し
 
1889年に小曾木村、富岡村、黒澤村が合併されて
神奈川県西多摩郡小曾木村が成立
(ポーン神奈川?
むしろ埼玉に近いし、文化も産業も埼玉に近いんですけど~~)
 
1893年西多摩郡が東京府に編入
(もぐもぐふーん、東京て府だったんだ。)
 
1955年青梅市に編入され消滅
(て真顔消滅はないでしょ………笑い泣き君の名は……)
 
 
zzzzzzzzzzzz
 
青梅市小曾木、富岡、黒澤て地名残ってるんだから……。
ダムで沈んだ村みたいじゃないか………。
 
さておき
 
若林仙十郎は小曾木村、黒澤村と今以上に
別れていた時代のお人なので、何故黒澤囃子と呼ばれているか不明です。
 
単にどちらで生まれたかあやふや???
なのかもしれないけれど
 
あちこちでプロデュースしたものの
黒澤の若者たちがお囃子好きだった?
育てがいあった?
 
黒澤地区の神社や村人が新しい芸能であるお囃子を受け入れた?
 
ので、黒澤囃子が黒澤の地で栄えて、黒澤の名が付いたのかもしれないなあ~。
 
小曾木ではゆったりほのぼのとした万作踊りが(神楽のように定位置)受け入れられ、
黒澤では賑やかで激しい(山車で移動)お囃子が受け入れられたと言うことでしょうか。
それとも、若林プロデューサーの何らかの意図で??てへぺろ
 
黒澤川に沿って神社が立ち並ぶ地形に関係して神輿、山車、お囃子の祭形態が栄えたのかもしれない??
 
黒澤は、現在もわりと来るもの拒まずで、賑々しくやってるので、お囃子連や神輿かつぎも他所から来てもらったりもしている。
そういう気質があるのかもしれない。
 
 
 
そして
前回書いた 
もう一人の首の長いお師匠さんこと
柳川長吉さん
(くびっちょ囃子で検索してみるとたくさんブログなどで書かれてますニコニコ)
 
黒澤流の二人のお師匠さんですが
年齢的に若林さんの方が先輩となるのでしょうが、二人の関係はわかりませんえーん
 
柳川さんは、若くして黒澤を出て、八王子、青梅、五日市、相模原へと広めていき、首長囃子(くびっちょ囃子)だとか、神田流、葛西流、等と呼ばれているようです。
 
葛西というのは、神田が葛西(葛飾区)に習ったことからそう呼んでいるのですかね。
 
お囃子と
最初に調べた時に出てきたのが
神田
神田は有名なんですね。
キョロキョロ古本屋街の認識しかなかったアセアセ
 
その神田は葛西に習ったということで…
神田囃子はすなわち葛西囃子。
 
葛西が関東の囃子の祖ヒヨコ
関東のみならず、東北、東海へも広がったのだとか。
 
足足足足足足足
祭囃子は、鎌倉起源説と伊勢説があると
ウィキペディア先生。
 
神田囃子のサイトには。
鎌倉の鶴岡八幡に奉納された五人囃子説
(1600年)➡懐疑的
私もそう思いますニヤニヤ
 
紀州(和歌山、三重県)の和歌の浦囃子という
漁師達が大漁時に舟板を打ちならした囃子説
(1716年)➡有力
 
葛西と紀州の漁師繋がりで葛西に伝えられ
香取明神(葛西神社)の神主が
当時神社にあった里神楽と、和歌の浦囃子を手直しして
「和歌囃子」を作り若者を集めて教えた。
それが訛って「馬鹿囃子」と呼ばれる。
これが江戸の祭囃子の元といわれている。
 
祇園説➡最有力
時系列からして、和歌囃子以前に神輿や山車の祭は行われていた。それらの屋台は祇園祭から。故に祇園囃子も伝えられたのではないか。
 
今残る演目を見る限りは、始まりは祇園であれ、江戸では賑やかな和歌囃子が生まれ、特に太神楽の曲目ご多く入っている。
太神楽は1669年、尾州(愛知県)からとのこと。神楽師達が多く江戸に移住してきたとのこと。
 
江戸のお好みで生まれた
ミックスカルチャーデレデレ
 
何より気になるのは……
現在の黒澤に残っているお囃子は、
果たして若林さんの残したものなのか、
柳川さんの残したものなのか……
元々は若林さんに習ったものなのかもしれないけれど、柳川さんの手が入ったものなのか。
 
やっと演目の違いが聞き取れる程度になった
おばばの耳には到底、
探りようの無いコトなのでしたニヤニヤ
お囃子に詳しいブロガーさんの考察を羨ましく読んでおります。
 
そしてそして、何より気になるのは
紀州の浦囃子照れ
          動画見つからず……ガックリ
 
見つかったのは
「馬鹿囃子 掛塚屋台囃子」
紀州和歌の浦で大漁の時、舟縁を叩いたことから始まり、現在では町内廻りをする際に奏でられる曲。
 
渋い!!かこいい!!!
静岡県磐田市の掛塚まつりのことでしょうか。
 
舟板叩く祭とか残ってないんですかねえ~真顔
紀州の祭や囃子の動画を漁るも
三重県、桑名石取り祭(ユネスコ無形文化遺産)
鉦と太鼓と、歌、漁師っ…………ぽい??
和歌山県の祭囃子…芳養浦獅子舞
塩岬祭?
この辺りの激しい太鼓。
みたいだったのかなあ~~
くじら踊り、というのもありましたね……
 
最近、トルコのコト全く触れてないけど
和歌山の串本
トルコの難破船を救出したとかでね。
トルコと日本を結ぶ友情必話。
トルコ人が親日家なのは~~~て事ですけれど。
私が住んでいた頃には、トルコ人、ほとんどそんな話知らなかった。
それぬきで親切でした。笑い泣き
 
トルコの太鼓も、凄いよ。ニコニコ
 
軍隊太鼓(メフテル)も…
イスラム神秘主義スーフィーの太鼓も…
シンバルの生まれた国
タンバリンも西アジア起源です。
 
世界史の資料集でみたスーフィーが
心に引っ掛かっていて、それも一要因で
後にトルコのコンヤにキリム修行の地を選んだのだけど。
 
今となっては、日々の暮らしにかまけてね…。
 
春だぞ!働け!(農閑期は終わったぞ)というね
村祭の合図
受け止めなきゃいかんね……笑い泣き
 
パー
自由研究ぽい気づきといえば
 
今回調べてみて、港町が多く、
また川も重要ポイントとわかりました。
 
地理にも弱いし
歴女でもないので
ひたすらに
民族音楽面白し~~~レベルで
長々書いて申し訳ないニヤニヤ
 
それにしても、かねてから東京都として疑わしいと持っていた青梅国ですが
神奈川県だったとはね・・・・・ニヤニヤ
 
 
祇園の山鉾に飾られてる絨毯てシルクロード渡って来たのよ~~
私もキリムを黒澤の山車に奉納できるお金持ちになりたい🎵
 
6/6よりあきる野市で展示会開催
今回は非常に貴重なアンティークキリムも登場照れ