アメブロを更新どころか開くことすらなくなって幾年月…
空白の時を埋めるのはもはや無理
箇条書きで経過報告
コロナ渦、90歳台のお客様などがわりといらして昔のお話を聞かせてくださる
5年前?ご近所に大学OGの方が移住される、私の敬愛する民俗学の相沢教授と大学時代民俗学を学ばれていたとのこと
蚕の出前授業は毎年継続
OGさんがめちゃくちゃ村の歴史を調べまくって教えてくれる
4年前?から農工大科学博物館で毎年蚕をもらいうけ、にわか育成
桑の木サーチぐせがつく→黒沢地区には黒沢川沿いに桑っぽい木はたくさんある
近所の桑畑の方に聞いたら、蚕が食べるなら桑といわれ与える
蚕たちは食べていたが秋になったら実がなった・・・コウゾと判明、黒沢には基本コウゾしかない!(桑畑と庭木のみ)
3年前?に長田養蚕さんから桑の苗仕入れて庭に植樹
昨年、農工大の蚕の研究室の教授様にコウゾも食べますよと自慢、教授様は「それは知りませんでした!」と驚いて
くれました。やさしい。(ちなみにたびたびブログに現れてた息子はその博物館で実習してました。もう大学4年生)
カフェ営業になり自分は外に出ることはほぼなくなるが、お客様から面白い話を聞いたりする日々
で今日知ったことを書き留めたい
OGさんがやってきて、近くの聞修院という、かやぶき屋根のお寺の話になる
青梅にはやっぱりお寺が多いですよね?と長年の疑問をなげかけると
三田氏が仏教を重んじ、寺院の保護に努めたとのこと。
そんなわけで写経を推奨していたそうです。つまり紙漉き・・・・
こんなにコウゾがあるのに、紙漉き文化の跡形もないってどういうことか?と疑問だったのです。
黒沢川を利用し紙漉きが盛んに行われていたとのこと。
ああやはりあったのですね。と
そして今更に思い出す
そういえば和傘の産地だった、青梅
江戸末期から昭和30年代にかけて「青梅縞」という絹織物と共に「青梅傘」の生産が盛んだったそうな
鎌倉時代から、室町、戦国時代の約250年間青梅周辺で活躍した
三田氏の残した紙漉き文化の下地があったからでしょうか?
それにしても野生化した桑の木が無さすぎる・・・黒沢地区の謎です
見つけてみたいな
