長崎と短歌と... | 日々の感心

日々の感心

日々の感心事を
感じたままに。

大阪府東大阪市と

長崎・五島列島を舞台する

NHK連続テレビ小説

 

 「舞いあがれ!」

 

で俳優の赤楚衛二氏が演じる短歌人“梅津貴司” が

日本の各地を巡りながら短歌教室を開催して

その事柄をエッセイなどにして連載する話を

出版社から持ち掛けられていて......

 

という場面をたまたま観る

 

その結末はテレビ小説の

今後の展開を楽しみに待つとするが

 

そこで私は

『長崎』 と 『短歌』 そして 『各地を巡る』

というキーワードから

長崎生まれの祖父に

思いを重ねてしまったので

今回は、そのことについて少しだけ書いてみたい

 

 

我が家にある

『藤原姓原氏系譜』

を見てみると

祖父の略歴が記してあった

 

・上海毎日新聞編集局長

・長崎民友新聞創設に西岡竹次郎氏と共に関与

・終戦後、言論界より公職追放

・解除後、民友新聞編集局長に復帰

・昭和32年 アメリカ国務省の招きにより3カ月間

 アメリカ各地を視察

・視察期間中、ハーバード大学にて

 ライシャワー博士(後、駐日米大使)に面会

・民友新聞と長崎日日新聞が合併後、長崎新聞論説委員

・斎藤茂吉を師として 吉井勇氏 と交友

・アララギ派歌人

 

とある

 

また、祖父の著書には

著者紹介としてこうも記されてある

 

・長崎民友新聞社 主幹兼編集局長

・東京観光 日本社社長 兼 関門毎友新聞社副社長

・上海毎日新聞社主筆

・独逸シムセン会社顧問

・終戦のため中央公職追放

・日本イスラエル教会監事

・長崎ユネスコ協会常任理事

・日米文化協会理事

・日伊協会理事

・日独協会評議員

 

へぇ~

すごいな。。。

 

ちなみに、私は

文章を書くことが苦手で理系の学校へ進学したが......

だから、文章が少しでも上手に書けるようになれればと

このブログを書いているわけなのだが......笑

 

私の手元にある祖父の著作

『日本のナポリ長崎』 には

ライシャワー元駐日米大使や

吉井勇氏と撮った写真が掲載されていた
 

 



私の父は

すでに34年前に他界してしまい

祖父について父から話を聞く機会を多く持てなかったが

祖父を通して

僅かではあるが

これで祖父の経歴が具体的に見えてきた

 

 

祖父の詠んだ短歌を抜粋してみると

 

 浦上の 被爆の山も 峡(はざま)には

   赤々と咲く つつじの花が

 

 大阪の ネオンの群れが 視野に入る

   大きく揺れて 機首傾ければ

 

 日本の めぐみあまねく エゾの地の

   アイヌの子らは 洋服(ふく)を着ており

 

 上海に ありゐてききし 氷雨かも

   この山中に 囲炉裏たきつつ

 

 風荒(すさ)ぶ シカゴの町の 辻に立ち

   阿蘭陀坂の ひそけきを思ふ

 

 ホノルルの れいの匂いは 今もする

   太平洋を一気に 飛びて來つれど

 
 
浦上(長崎)、大阪、エゾ(蝦夷)、上海、シカゴ、ホノルル、、、

 

 

『長崎』 と 『短歌』 そして 『各地を巡る』

 

舞いあがってきた!

 

冒頭ワードとリンクができたのだ

 
 
 
 
ちなみに
 
 

『 日本のナポリ長崎 』

の刊行に際して

当時の長崎県知事 佐藤勝也 氏による

“推奨のことば”

が載っていた

 

 

じつは

佐藤勝也長崎県知事の前任知事が

先の略歴に記した

西岡竹次郎

であったと

今に至って、知る

 

西岡竹次郎氏は Wikipedia によると

1916年(大正5年)に早稲田大学法学部を卒業

とあった

 

私の記憶違いかもしれないが

祖父も早稲田大学高師部本科数学科および英文科を卒業しており

その当時、長崎県から早稲田大学へ行ったのは

西岡氏と私の祖父の2人だけだったはず

と聞いた覚えがある

 

私も早稲田大学に行きたかったが

入れてくれなかったのは

私のせい

 

でもそれを息子が果たしてくれたので

とても嬉しく

息子を誇りに思うのである

 

ちなみに息子は文学部卒業だが

短歌には全く興味がない

 

 

 

 

 

今日の感心