過去には、市場取引馬から狙う事でテキチュウ出来た時期もあったが、それも今は昔。「第2回」から競走名を変更した歴史は、「いちょうS」が辿るようだが、その事と、此処での起用性とは因果は無い。「第1回府中3歳S」を名乗って新設されたG3競走はゴッドスピードを1着起用したが、次走メジロブライトの「第31回共同通信杯4歳S」を選んだが2キロ増量馬として11着惨敗。以後、「東京優駿」にまで辿り着いたが、サニブラ2冠の太刀持ちにすらなれずに、全く良いとこなし。挙句の果てに、矛先を障害に向けて、5歳で「第122回中山大障害」で後に伝説を残すゴーカイに後塵を浴びせたという数奇を演じる。これにより「魔のルート」となった「東スポ杯」→「共同通信杯」だったが、同じ2枠で2着に負けたディープブリランテが、それを払拭したようにも見えるが、どちらにしても「青葉賞」と同系統の意匠が組み込まれている事に変化は無い。
2014◆東京スポーツ杯2歳ステークス(GⅢ)
本競走は、『東京3歳ステークス』を前身とする競走。43年より『府中3歳ステークス』と名称が改められ、59年には距離が1800mとなった。平成8年に重賞競走に格上げされ、さらに 9 年より『東京スポーツ杯3歳ステークス』に名称が変更された。その後、13年の馬齢表示の国際基準化に伴い、『東京スポーツ杯2歳ステークス』へと改められた。東京スポーツ新聞社は、東京都江東区に本社を置く新聞社。昭和43年に前身である国民タイムズが創刊された。本競走は、同社より寄贈賞を受け施行されている。