◎505アドマイヤネアルコ→○303ヒルノドンカルロ X101,404,606,707
「馬連配当と上乗せ5%の算出方法?」
「んなもの、知らなくても競馬は当たるさ」
「そのレースの特性に相応しい戦歴の持ち主を探せばいいだけ」
「あの馬の同枠には、一過性の象徴がいたから単勝10番人気でも1着したのさ」と彼はいつも、負け惜しみを言ってしまう。諭しても諭しても、「JRAは同じ事を繰り返す」と自問自答しながら「いつも、同じ過ちを繰り返し続けている。JRAのお得意さまだ」
「彼は、競馬が本業では無いから、有料会員から、些少を搾取しながら細々と実戦を負け続けている。」
1度は、自己嫌悪の下敷きになり、土留を崩落させてネット社会から
逃げ出し、メルマガも放置したまま消失したのだが小遣い銭欲しさに
舞い戻るという「同じ仕草を繰り返す」そして、また、この世界から去って逝くことだろう。
残念なことに、彼の競馬知識の中には「札幌、函館競馬場」と「道営競馬」の歴史も、「中京競馬場」と「名古屋競馬」との歴史も存在しない。存在しないのだから、理解出来ない点が多く存在するのが、「夏競馬」である。
ところで、「2011年以降の北海道シリーズの全開催は、最終競走になぜ特別競走を編成しているんだ?」2年も前から「最終馬連」の準備を行っている訳では無いこと位は、理解出来るだろう。それとも、解の確認が出来ない事は、特異なロジックの方が、それらしく聞こえるから、3年計画だったとでも言ってしまうか?そして、それが「真実だ!(キリッ)」とか?
冗談は、さておき、この辺りに関しては、もう1つの極論として「はくぼ競馬」に関わる説も存在するが、ここで説明する気はない。
確かに、起点からの統制は取れているかもしれないが、それだけでは「最終馬連」は獲れない。「え?総流し?」
まぁ、主催者は「配当」や「オッズ」のパワーコントロールなど絶対に出来ないが「出走頭数」、つまり「目数」の制御は可能だから、それも1つの方策ではあるが、明らかにロスが大き過ぎるとは思わないだろうか?まぁ、「最終馬連」は今年だけのイベントか否か?なんて事を考えているうちは、その7点乃至8点までの「総流し」は、ガミるか、フテキチュウに終わるだけだから、ご自由にどうぞ。
最終が「特別競走」である場合に、当然、「メイン」の影響を受けることになるから、そこに「STV賞」でなく「STV杯」が編成されているというのが、「3回函館第3日」の、言うなれば、それこそ「真実」である。
だが、この「STV賞」は、今年、芝1200mで施行されるから。「賞」であって「賞」でなく「杯」の代替なのか?
それを考えてから「最終馬連」対象競走を考えるのが手順というものである。




