第63回ダイヤモンドS | リゲイン総合研究所~競馬番組「表」なんて実在しない~

去年のレースの記憶も曖昧で、時として出鱈目なロジックが、グレード制導入前に展開が及んでしまうと、もう手に負えない事になってしまうのは必然であるから、お察しするが、その頃の煩雑な番組編成は、ローテーションなどという概念すら感じないもので、施行実績を積算する事のみに催者目的が傾倒していた感が強く、利益誘導、利益配分に常に「公正さ」が求められるものである。何の為に「目黒記念」「中山記念」「京都記念」が「春」と「秋」に存在したのか?を今1度見据えて、いや、そんな事に気づいたからといって、当該競馬番組の構造が理解出来るようなことは無いだろうから、ゴミ収集馬やタブー馬でも血眼に検索するほうが余程、理に適った作業なのかもしれない。
勝抜制(当該優勝馬が以後出走出来ない資格制限)が関わっていた「天皇賞(秋)」には、「春天2着歴」を繰り上げ当選させる機能とは別に、いや、不毛な話はすまい。所詮、正規競馬番組論者の愚痴でしかない。とにかく3頭ほど(コレヒデ、フジノパーシアは逆位相)の下級ハンデ重賞1着馬がたまたま秋天馬へと昇りつけたからといって、それが宝石名を名乗っている事だけを根拠に八大競走の1つである秋天のステップが如く勘違いするのは、「根岸S」を「フェブラリーS」のステップと勘違いする今時のものと微塵も変わらぬものである訳で、それは主催者が否定しても「芦毛は夏場に強い」という迷信を信ずるが如く根拠ない偶像である。

