「残念ダービー」という過去のシステムとは、2006年ソングオブウインド、ロックドゥカンプ、トウショウシロッコらによって、完全に決別した番組であり、「ジャパンカップ」のスクリーンヒーロー、前述のロックドゥガンプと同枠だったショウワモダンの「安田記念」など、「(旧)中山4歳ステークス」からの継承も既に機能していない純粋なハンデ戦としての施行を目指している番組である。
ちなみに、決別前年の2005年の特別競走名解説は以下のようなものであった。
2005年●ラジオたんぱ賞(特別競走解説より引用)
昭和27年(1952年)に創設された『中山4歳ステークス』がラジオたんぱ賞の前身で、29年以降は日本ダービー終了後に施行(43年を除く)され、30年から42年までの出走資格が“除東京優駿競走の第1着馬”となっていたことから、現在でも“残念ダービー”と呼ばれることがある。54年の開催日程の改正に伴い、施行競馬場が中山から福島に変更されたが、1800m、別定重量という競走条件は踏襲されている。秋への飛躍を期する馬にとっては重要な3歳限定の重賞競走となっている。平成15年までに行われた53回のうち、1着馬と2着馬の最大着差は7馬身差。これは昭和52年の優勝馬マルゼンスキーが記録したもので、その時の単勝払戻金は100円(1.0倍)であった。
(参考データ:別定規定:55キロ.牝馬-2キロ.H15.7.2迄の収得賞金1200万毎+1キロ. )