今年の「オークス」は400万馬が抽選対象で2頭が当選馬として出走する。
400万馬でもピュアプリーゼやシシリアンプリーズは、それら抽選対象馬らを
横目に堂々と出走可能な「オークス」。これが「優先出走権」本来の機能性である。
「優先出走権」を所持してる個性が「桜花賞」を勝ち
「優先出走権」を所持してる個性が「オークス馬」を勝つ事が
まるで「正規」な決着構造のように論じられる昨今。
既に「正規」や「非正規」として「レース」を評価する時代は終焉している事が
国際化という時間軸の中では未だに理解されていないのは、幸か不幸か。
トライアルにG3競走やG2競走が存在し、それを1着すれば1着本賞金の半額が
出走資格賞金に積み増しされるから当然、出走馬決定賞金も嵩増しされる。
重賞の場合は2着馬にも算入権があるから同様であるしオープン特別の場合も
1着馬の資格賞金は、優位となる。
特段「優先出走権」を付与しなくても、それら賞金加算馬が出走可能な状況下で
敢えて「出走権」を発行するシステムが存在する。
一般の競馬ファンは、桜花賞馬にオークスへの優先出走権が与えられる事など
あろうが無かろうが、それが実力通りであれば、そこに「2冠」という栄冠を期待し
オークスでも、当該桜花賞馬に資金投入するし、2着馬が脚を余した所
謂「負けて強し」という、珍妙な形容により、直線の長い府中なら十分足りると
これまた当然のように、集票するのは至極自然な人間心理構造である。
そもそも、「優勝劣敗」、人気馬同士が1,2着を分け合う決着
配当が安い決着が「正規」で、万馬券が「非正規」という定義が
誰が決めたのか我田引水で、胡散臭いのである。
あるレースは負けても強いし、あるレースは勝っても弱い。
と評価され、その根拠には、必ず人気が介在する。
展開が向いたり、前が壁になり行き場を失ったり
なぜが、その壁が真っ二つに割れる時もある。
競馬解説者は、推す根拠が見当たらないと
「競馬は記憶力だ」と言いたげに
「この馬は、新馬戦で1番人気に推された馬だ」とか
「勝ち馬をものさしにするとだとか」言ってしまう。
前走15着馬の馬に対して「好調持続」と平気で言うが
推奨馬には決してしない。