こんにちは!
3連休、いかがお過ごしでしょう???
今日は天気がいいですが、2日間は雪かき に没頭しておりました。
腰は痛いし、握力も大幅減
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さてさて、こちらの記事をUPしたら横になりますw
韓国の文化・芸術系ニュースサイトの아트인사이트【Art InSight】から記事をピックアップ
[Opinion] あの時代、私たちが愛した少女時代が この時代を歩く方法[音楽]
少女時代が証明する「少女」の無限の可能性
カムバックをしたわけでもなく、記念日を迎えたわけでもない少女時代について話すのが多少唐突に感じられるかもしれない。 だが、少女時代がデビュー18年目を迎えた2025年現在、私たちは少女時代の「また巡り逢えた世界」を除いては韓国大衆音楽史を論じることができない時代に到来した。 だから、いきなり少女時代の話をするのは、今の時代にむしろ当然だ。
この時点で少女時代の過去18年を振り返ってみて気づくことができる事実は、「少女時代」というグループの存在価値はその時より今より鮮明に輝くということだ。
たとえ私たちは以前ほど少女時代の音楽と舞台をよく見ることができず、少女時代のメンバーたちはすでに「少女時代」というタイトルの外でもあまりにも存在感のある芸能人になったにもかかわらずだ。 それでも「少女時代」という垣根内外で彼女らが歩くすべての道は堅固に積み上げた彼女らだけの世界観になった。 「少女たちが平定する時代」とは、ある一つの時点で始まったり終わるのではなく、依然として「持続」されていることを証明するように、むしろ彼女らが時代に伝えるメッセージはより一層鮮明になっていく。
2007年、SMEが何年も力を入れてきたと自負した「女子団体チーム」プロジェクトの結実でデビューした少女時代。 彼らはSMが野心的に出した多人数ガールグループというイメージを大衆に刻印させ、デビュー序盤から強固な地位を固めた。
だが、彼女らは初期に人気を集めた清純で身近な少女のコンセプトに安住せず、ある日は「幸運の女神」に、ある日は「悪魔」、「チアリーダー」、「戦士」に、ある日は「ガールズヒップホップのアイコン」に変身した。 コンセプトだけでなく、音楽的なジャンルも限界を設けず、毎回違う音楽を追求してきた。 一例として正規4集のタイトル曲「IGot A Boy」はK-popで初めてミックスポップジャンルを成功させた事例と見なされ、正規5集のタイトル曲「Lion Heart」は以前のアルバムに比べてサウンドを多く減らす冒険を試みたが、少女時代メンバーのハーモニーでその場を隙間なく満たし、レトロスタイルのコンセプトと調和する音楽を披露した。
少女時代の音楽の中で「少女」は何でもなれ、何でもできる存在だった。 そのように少女時代はK-popと大衆文化に新しいインスピレーションを与え続けた。
時間を重ねて絶えず自分たちの音楽的·視覚的世界観を拡張した少女時代は、あれほど多彩なパレットの上で誰もが一度は愛してやまない「国民ガールグループ」になっていた。
少女時代のメンバーたちはグループ活動の外でもそれぞれの方式を通じて「少女」の可能性を自ら証明する大人に成長した。 ソロ歌手、演技者、ミュージカル俳優、放送人、そしてDJとして活発に活動し、一人一人が磨き上げた力量を大衆の前に堂々と披露した。
チームの長い空白期以後に披露した15周年アルバムが濃厚な懐かしさやその時代に対する郷愁より、祭りのような笑いと幸せをいっぱいに盛り込んでいたのは、その空白を各自の席で最善を尽くして埋めたすべてのメンバーの努力のおかげだった。 そのおかげで私たちは「別れではなく安寧の意味」を知ることができ、祭りのようなその時間が「エッジのあるタイミング」が来る度により素敵に訪れることを確信することができたからだ。
ガールグループが長い生命力を維持することはその頃も今も容易ではないが、少女時代が別にまた一緒に歩きながら作った道は彼女らの存在をより一層鮮明にする。 そのためか、彼女らは過去の栄光や成功にとらわれることなく、さらなる成就に向かって着実に進んでいく。
「少女時代」の中でも彼女らは十分多彩だったが、チームの中にだけいたらできなかったことさえ手にしてしまった。 「何でもなれる、何でもできる」女性として少女時代のメンバーたちは「少女」の無限の可能性を証明し続けた。
そしてデビュー後20年近い歳月が流れた今、少女時代はまた別の方式で新しい生命力を得る。
少女時代のデビュー曲である「また巡り逢えた世界」は2016年梨花女子大未来ライフ大学新設反対デモで初めて使われたことを皮切りに、以後同年朴槿恵政府糾弾要求デモと2020年タイ民主化運動で使われ新しい時代の闘争歌として位置づけられ、以後同年パク・グンヘ政府糾弾パレードと2024年~2025年尹錫悦大統領弾劾要求集会でも鳴り響く中だ。
そのように「タマンセ」は若い世代の闘争歌を越えて老若男女が一緒に歌う民衆歌謡になった。 アイドルグループの歌が時代の重要な変曲点ごとにこのように響き渡るというのは非常に異例なことだ。
「タマンセ」の民衆歌謡化が若い女性たちから始まったという点はさらに鼓舞的だ。 少女時代がこれから繰り広げられる逆境と苦難を共に乗り越えようという約束として歌った歌だった「タマンセ」は、夢と希望を信じる若い女性たちを経て初めて国民のものになった。 少女時代の音楽を聴いて育った彼らは、「何にでもなれる少女」の無限さを知っているかのように、可能性を歌う人々になった。
もちろん、それは少女時代が何かをしたからではなく、国民自らが選択したことだった。 しかし今日「また巡り逢えた世界」が一つの「社会現象」として位置づけられたのは、その曲の主人が他の誰でもない「少女時代」であるためにより一層特別だとあえて言える。 彼女らは社会的メッセージを掲げて活動するチームではなかったとしても、絶えない変化と成長を通じて同年代の少女たちに十分に良い影響を与えるチームだったためだ。
それだけでなく、同時代に活動したどのチームよりも象徴的な影響力を持っており、チームとして築き上げた価値をどのメンバーも少しも軽く考えたり、忘れずに各自の場で受け継いでいるからだ。 そして、その価値は一様にまさに少女の無限な可能性を証明するためにより特別であると言える。
少女時代は単なるアイドルグループを超え、多彩な音楽とコンセプトを通じて「少女」の概念を拡張し、変化を止めずに時代と共鳴するチームだった。 その時代、私たちが愛した少女時代が今も、これからも、永遠に、私たちのそばで希望と情熱を歌うことを願う。
おわり
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