躑躅ヶ崎館(武田神社)行ってきた | 城攻めタフトのブログ

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#躑躅ヶ崎館

#武田信玄 #武田神社

武田家の本拠地「躑躅ヶ崎館」に行ってきました。今回の甲斐攻めのメインディッシュです。いまは武田神社となっているようです。ここは県道6号線から北に折れて、武田通りを真っ直ぐ進むと正面に見えてきます。この武田通りって当時もメインストリートだったのかな…城下町の雰囲気が漂っています。



ここが正面入り口です。大勢の観光客で賑わっていました。この右手に駐車場がありますが、既にいっぱいでした😇…駐車場はこの他にも、正面左手へ行くと二箇所あります(案内看板もあり)。そちらは空いていました



その前に神社前にある食堂で腹ごしらえ。ほうとうをいただきました😊写真はないけど(笑)…美味しかった



さていよいよ向かいます



堀があります。結構大きい



階段の両側は石垣ですが、これは後世のものでしょうね(恐らく…)



神社の様子。本殿付近には参拝客が大勢いました



お参りを済ませて、さっそく武田神社のある中曲輪東曲輪(主郭部)から、橋を渡って西曲輪に向かいます。案内板がありました



武田神社から左手の西曲輪方面に向かいます




こんな感じでなかなか立派です😎いわゆる普通の神社とは違う、ワイルドな雰囲気がいいですよね😊



西曲輪の南側にある枡形虎口



高さのある土塁



この3枚は西曲輪から南へ出る枡形虎口です。もう全然お城そのものですね😊

またいままで知らなかったのですが、武田家が滅んだ後、甲府城が出来るまで、ここを織豊系の大名が改修して使用していたようです。

石垣などもその時に作ったものではないかとのこと。信玄公の在世時は、曲輪の数も少ないようです😇主郭曲輪自体の大きさも、発掘調査によるともう少し小さいらしいです



西曲輪から北を見てみる。神社のある主郭部とは、ガラッと雰囲気が全然違うのが面白い😅



西曲輪の北部、主郭寄りの辺り


先ほど同じく西曲輪の北部、主郭寄りの辺り

この辺りはもう山城にしか見えないです(平城ですが)



あと神社のある曲輪と西曲輪を隔てる空堀の大きさにビックリ‼️しました。これ館じゃないよね、平城だよ😅って何度も思いました。


⬆️主郭と西曲輪の空堀です。ご覧ください



西曲輪の北にある枡形虎口、これも織豊系の改修なのか…どっちだろ。でもかっこいい😎



個人的に一番かっこいいと思う、西曲輪から北に出る土橋の写真



動画もご覧ください😊





この2枚は…西曲輪の北側の空堀かな😅



西曲輪から土橋を通って、北側のエリアにきました。人もほとんどおらず、静寂な雰囲気でした



武田神社の賑わいがウソのようです





いまこのエリアは発掘中のようです。発掘された石垣の石が積み上げられていました。整備されたらまた見に来たいです



整備中の北側の曲輪群の様子です😊




主郭曲輪の東側を通って大手に向かいます



ここが大手です。武田神社の正面の右手側になります。なので、一番最初に堀を渡って通った神社の入り口は、戦国時代にはなかった…ということですかね



堀の様子は樹木で全く見えません💦





大手の正面(神社の東側)にある曲輪跡で、整備されています。ここは見どころ(発掘調査で、三日月堀があったようです)だと思いますが、当日は要害山城で疲れていたのか、何故かちらっと見ただけでした😭


あとでめっちゃ後悔…よくありがちです…ちなみに梅翁曲輪も行っていません💦(すっかり忘れていました)いつかリベンジしたいです😭


という訳で、相変わらず、いつもの見落とし多数案件ですが、ここに武田信玄公がいたんだって思うだけで、ある意味満足出来ました。少なくとも館ってイメージではなかったです。でも行って良かった😊



以上、最後までご覧いただきまして、ありがとうございました🙇‍♂️