イタリアオタクの旅⑦ | 必ずカエルよ~ 多発性骨髄腫と歩む

必ずカエルよ~ 多発性骨髄腫と歩む

多発性骨髄腫という病気になってしまいました。
検出できるM蛋白はベンスジョーンズですが
その数値が低く、非分泌型に近いそうです。
平成22年7月22日に入院、23年2月23日に退院しました。


久々・・・・イタオタ話です。


去年の8月を最後に終わったかのようでしたが・・・・


私自身ももう書かないのかな~と思っていたのですが


書くキッカケができました・・・・




それはさておき。




軍資金が尽きそうになった私は


イタリアと日本の合弁会社の面接を受け採用になりましたが


当時、海を隔ててお隣の旧ユーゴスラビアが内戦中


どんどん難民がイタリアに押し寄せてきていたため(と聞いてます)


就労ビザが中々おりなくて


一旦日本に帰国して7カ月ほど待ちぼうけになりました。



そしてようやくおりたビザは当初ショップ店員で、という話だったのに


合わせて作られた日本食レストランのウェイトレスとしてのビザ。


こっちならすぐ取れる、と半年待たされて言われたため


それでもいいからとビザをとってもらって再度イタリア入りしました。




その企業はミラノ中心街にあった映画館を買い取り改装、


大きな吹き抜けに造って、下は高級日本食レストラン、


上は免税店というお店でした。



そのレストランでの仕事に入ると・・・・・



私以外全員が関西人でした。


当時の私は東北出身の東京生活者、


まだ関西弁も今ほど東京では聴くこともなかった時代でしたから


ミラノにて関西弁の洗礼を受けることになりました・・・




「ちょっ、これ、なおしといて!」


「ぇ?どこか壊れてますか?」


「ちゃうちゃう、あっちの棚に な お し と い て!」


「・・・・・???」



なおして=かたづけて


とか^^;




「これもうあかんわ、ほかして!」


「はぃ??」


「ほかしてって!!」


「・・・・???」



ほかす=捨てる




とか。




「もう~そんなん言うてくれたらとったるやん、アホやな~」


「・・・・アホって言われた・・・泣」




とか・・・・・・(笑)




今となっては笑い話ですが


当時は本気で悩み落ち込み挙動不審になってました。


日本語が聴きとれず


かえってイタリア人との会話のほうが楽だったような・・・・??^^;




本当にいろんなことがありました。


辞めることも考えましたが悔しいから頑張っちゃって(笑)



なんだかんだで3年働いて、おかしな関西弁を話すようになって・・・


契約更新するかどうか迷いましたが


イタリアオタクはイタリアに住んでみて


自分が日本人だと再確認してしまったようでしたので



帰国することに決めました。



それはあの阪神淡路大震災の1週間後。



私以外全員関西人だったレストランなため夜中に連絡が回ってきて


急いで国際電話をかけるも通じるわけもなく


私は東京のお友達・・・○ノブさんに国際電話をかけて


地震があったみたいだけど大丈夫????と焦って尋ねましたが


いや、揺れてないよ♪ とのお返事。


そらそうだ、東京は揺れてないよ・・・・


ちょっとテレビつけて見て・・・・とお願いすると


高速道路が倒れているあの映像を見た○ノブさん絶句汗




という流れで帰国してきたわけなんですが。




4月から働きだした近所@歩いて40歩の料理屋さんの大将


最近になって私の履歴書をちゃんと見ていたことが発覚しまして・・・・



「アンタ、ミラノのどこで働いてたんや?」


どこって、説明してわかるんかな~、


旅行でもいかはって知ってはるんかな?と思いつつ説明すると・・・・




「ワシ、E(ミラノで日本食レストランの老舗)で働いてたんや」



「ええええええええええええええええぇぇぇぇ!!!!」



Eさんには何度か食事に行ってました。


私が働いていたレストランよりもずっと長くミラノにある料理屋さん。


これって偶然??


冗談かな、いつもの・・・・・とか、一瞬にしていろいろ勘ぐりましたが



息子さん(今も一緒に働いている)ができたので帰国されたとのこと。



その後、ミラノ話で盛り上がったのは言うまでもありません。


偶然にしてはできすぎてる話です・・・・・




しかも、以前書いた通り大将は奥さんを白血病で亡くされてます・・・・



私は骨髄腫。



大将もこんな偶然あるんやなぁって顔で私を見てます・・・・



大将と私がいた時期はかぶってはいませんが・・・・



人の縁とは不思議なものとしみじみ思っている今。




そんなわけでイタオタ話を書いたというわけです^^




またイタリア 行きたいな~~~(* v v)



もう一度カエル





ではではまたキラキラ