そういえば私・・・・・・
病気にも病院にも無縁だったのですが
思い起こせば20代になったばかりの頃は
2回ほど、入院したことがあります。
一度は理由がわからず高熱で入院しました。
田舎の病院でしたので結局原因はわからないままでしたが
その時白血球が異常に多くなっていたため
家族には白血病かもしれない、とお医者様から告知があったそうで
私の知らないところで家族は泣いていた、と後で聞きました。
その後順調に回復してしまったため、
多分腎盂腎炎だったのだろう、ということになって退院、
その後も特にどうということもなく、忘れておりましたが
この病で倒れた2年前、最初は白血病の疑いをかけられ落ち込みました><
今回は白血病ではなかったものの骨髄腫という病を本当に得ましたが・・・^^;
もう一度はこれも大学一年生の時。
晴れて音大生になれ意気揚々と歌の練習に励んでいた私でしたが
ある日、先生と何気ない会話で・・・・・
実は高校時代に、じゃんけんで負けて誰もやりたがらない応援団に入団させられ、
応援歌や応援での声を出し過ぎたり
学園祭でバンドをやったりと
声を無駄に酷使したがために軽い声帯結節を患っており
その時はこれは切らなくてもいい程度、と言われたのですが
それを何気ない会話で大学の先生に話したことから事は急転直下・・・・
そんな怖い子、教えられないから切っておいでなさいっ と
大学一年生の夏休みに手術が決定してしまいました。
KO大学病院にて意識があるまま
呼びかけられれば声をだしながら・・・・
口にはビデオを仕掛けられ・・・・・
部分麻酔ではありましたが手術も辛い、
麻酔が覚める時も辛い思いをしたものでした。
その後、2週間は筆談で生活。
寝言くらいは声を出してしまっているかも・・・・などど
心配しながらの日々でしたが
晴れて声を出して良くなった時の私の声は・・・・・
以前とは違った声になってしまい、
どう声をだしていいかわからなくなっていました。
日常生活には何の支障もありませんでしたが
当時、音大の声楽科の学生でしたので
これは私にとって死活問題でした。
手術してくださった病院は切ったらアフターケアはなし、
困った私は渋谷の有名な声のお医者様を頼って行き、
そこで今でも交流のある声、歌、音楽、イタリアの師匠の先生に出会いました。
その先生に出会って私は一から発声を直されました。
それは簡単な道のりではなく、何度も挫折しそうになりましたが
どうしても負けたくなかった(自分に)ので
ともかく半年は頑張ろうと週に多い時は3度も通いました。
自分自身ではその頃のことを詳しく覚えていないのですが
隣の部屋でつぶさに私の声の変化を聞いていて覚えているのが
親友のOちゃんです。
細くただ綺麗なだけの声、と大学の先生に言わしめた私の声は
オペラを歌う少し太めのリリコという声質になりました。
ただ、身体を使うことが下手で支えがきかず
持続できませんでした。
ボイストレーニングを合計10年近く教えていただき
それでもイタリアへ行ったり、帰ってきても関西に来てしまったりで
先生とは何度も疎遠になりながら・・・・・
去年ようやく京都で再会できました。
私の人生に大きな大きな影響を与えてくださった先生です。
でもその先生の存在が大きすぎて
私は耳は育ったけれどその分自分の声や歌が許せませんでしたので
自然と歌から離れる人生になってしまったと感じています。
あの時手術さえしなければ・・・・と何度も思いました。
実際手術という方法でなく、発声を直す手段もあったのだと
のちに知りましたが時すでに遅しです。
でも、これが私の運命だったし
紆余曲折ありましたがここ最近は
小さな子どもたちに歌ってあげられる仕事につき、
保護者の方から
「先生は音楽の勉強をされていたんですか?」とか
「先生の歌がいつも楽しみなんです」
なんて
嘘でも(笑)言っていただけるのが
本当に嬉しい今です^^
私のクラスの子どもたちは時によりますが
とっても大きな声で元気よく歌ってくれます(笑)
多分、私につられてるんや~(笑)
最後に
Oちゃんと二人、わけがわからないまま
バロックのサロンコンサートをした時の音源を・・・
ちょっとだけのせます^^;
長い昔話ですみません('-'*)
今や普通に話しているつもりでも
「ボリューム下げて?」とキングにクレームもらうくらいの
ラーナでございました^^
おやすみなさいませ
