イタリアオタクの旅⑥ | 必ずカエルよ~ 多発性骨髄腫と歩む

必ずカエルよ~ 多発性骨髄腫と歩む

多発性骨髄腫という病気になってしまいました。
検出できるM蛋白はベンスジョーンズですが
その数値が低く、非分泌型に近いそうです。
平成22年7月22日に入院、23年2月23日に退院しました。



最近は毎日疲れ果ててPCを立ち上げることもできませんでした^^;


でもちょっと気分転換に久しぶりにイタオタ話でも音譜




前回は4カ国の人々で家をシェアするというところまででした。




さて、4カ国のメンバーで家をシェアする生活は


精神的にも肉体的にもずいぶん負荷がかかったようで


1か月もすると私はパンパンに太ってしまいました。



お金を出し合って朝食は交代で作っていましたが


まずその毎日の朝食でかなり太ったのです。



ジャム、リコッタをたっぷりのせたパンをほおばる朝・・・・


ふと隣のドイツ人を見ると・・・・


1センチくらいに切ったバターをのせています・・・・・・汗



でも感覚が麻痺しはじめていた私はそれも真似しました。



すると顔中に吹き出物があせる



とても日本人に耐えられるカロリーの食事ちゃう><


でも、もくもくと食べました。



違うことで頭がいっぱいで(イタリア語の攻略で、です(笑)


白いご飯が食べたい、とか味噌汁飲みたいとか


全く思わなかった気がします。



それでも一カ月も経つとあれこれ内紛が起きてきました。


誰それは決めごとをやらない・・・等々、


人種は違っても一緒に住めば同じこと^^;


4人で会議のようなこともしましたがやはり無理があったのでしょうか。



とうとう私はその家を出ることにしました。

クラスが一緒だった日本人の女の子と友達になり、


彼女の紹介で狭いながら彼女と私と一部屋ずつもらえる


イタリア人女性のアパートに引っ越すことにしたのです。



小さな庭付きの一軒家で質素なお家ながら


完全にプライベートなお部屋を得ることができたのは


精神的にとても安心できました。



初めはかなり苦戦を強いられたイタリア語でしたが、


前回書いたミラノへの旅が終わって帰ってきてからは


少し自信がついたせいか、イタリア語でのコミュニケーションが


楽しめるようになってきてもいましたので


学校のコースも修了した夏休み、


私はルームシェアしはじめたお友達と二人で


積極的にイタリア国内の旅行に行きました。


はじめてローマに行ったのもこの時期。



どうしても見たかったフォロロマーノへGODASH!




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この円柱の柱が昔から大好きでした。


なぜかは不明です(笑)



一人、この柱のそばで1時間近くぼ~~~っと物思いにふけりました。




宿は安いホテルを探して泊り、あちこちを歩いて見て回り、


節約しながらもローマの街を満喫し♪楽しい時間でしたが・・・・



ですが・・・・・・・・・・・・・・・ね・・・・・・・・・・・




底をついてきたのです。


そう・・・・・軍資金が!!




せっかくだからあちこち旅行は行きたい、


イタリア語も理解し始めてきたしもう少し滞在したい、


だけれどお金がなければ帰るしかありません。



ミラノの友人のところに行ってこの経緯を話し


「困ったな~~~~あせる」 と話したら




そういえば日本人の仕事の募集が出ていたけど


働いてみれば???と言われまして・・・・




すぐに問い合わせるとすぐに面接になり、


イタリア人の社長さんとイタリア語での面接にドキドキラブラブ


ながらも、ここはサクッと採用に・・・・・。




思えばここから私の人生は大きく大きく変わっていきました。




時々キングは自分の人生の分岐点はどこだったと思う?なんて


私に尋ねます。




そんなことを考えたこともなかったけれど


今なら答えることができて、


一度目は間違いなくこの時だったのではないか、と思ってます。




ラーナ@24歳の秋、イタリアの会社に就職。



若く無謀な決断でした。




さて今回はこの辺で・・・・・



これから円周率100ケタ覚えなあきませんの!!←ホンマですよ汗



ではでは皆さん、熱中症には気をつけてお過ごしくださいね~~



おやすみなさいませお月様