以前の記事よりだいぶ時間が開きました。
ここのブログとの距離感が掴めず、まごまごしているうちに日ばかり経って行きました。
締め切りもない読者もいない文章作成活動ですので(執筆などとはおこがましくてとても書けない)
別に日付が開くことなんか気にしなくて良いんですけどね。
さて、タイトルの愚痴です。
愚痴、言いますか? 言えますか? 誰に言いますか?
周りには言うんです「辛くなったら愚痴で良いから言ってね」と
だけどそれが自分に向けられた言葉になると、どうして良いかわからなくなるんです。
頭を心を悩ませる事象は一つではなくてそれこそ有象無象。
何から話して良いか、何を話したら良いのか、そもそも話すべきなのか。
話したところで何が変わるのか。
それは解決を見るのか。
辛かったねと頭を撫でられ、その人の胸で涙の一つでも流せば明日への活力になるのか。
なるとは思いますけどね。人間そこまでシニカルに出来てはいないですし。
どちらかというと、悩むのはその愚痴の行く末ではなくその前。
誰に言おうか、何を言おうか。
煙草を吸い、音楽を聴いて逡巡し、酒を呑んでは煮詰まって。
それでも何を誰に話せばいいのか答えは見つからないまま。
そして私はこのブログを放置していたことを思い出すのです。
大好きな作家さんの一人である山田詠美さんが「書くために沢山の膿を溜めてきた(意訳)」と言っていたので日々の心に澱のように溜まる出来事も、いつか何かの糧になると思ってきた。
ひょんな事からブログを読むようになった方が「なんかあった時の8割をブログに書いている。それ以外の2割はどこに行くのだろうと考えていたら、多分文章になっていたのだろう」と書かれていて、思い出した。
ここは私が何を書いても良い場所だった。
最低限の自分ルールを決めて、誰の目も気にせずに書いて良い場所だった。
路上でギターをかき鳴らすように、ここで何かを叫ぶんだった。
散文にもならない駄文だと思う。我ながらつくづく思う。
だが私は私のために、このネットの片隅で好きなことを書こうと決めたんだ。
ぐるぐる回って日が暮れて、少しだけ道が開けたような気がしたワイン片手の冬の夜。