面白い♡

私はタロットを通して
時折「何か」を垣間見ていますが
モチロン、こんなスゴい学者さんと比較すること自体
僭越で、恐縮ですが

漢字も元々は庶民のためにあったわけではなく
「天に祈る(天の意志を推し量る)こと」
から来ているのではないかと想います

そこに限りなく近づける瞬間が訪れると
自分の意識のみでは決してたどり着けない
ある種の境地にたどり着くことがあるので

この手で写すという作業が
古代人の意識を憑依させるという感覚は
何だかとても親しみを感じます

そしてこの際限のない
「知りたい」という欲求が
常人がたどり着けない境地の扉を開けることに
私もまた限りない憧れを感じます・・・


白川静氏の文章からの抜粋

私は数万片の甲骨資料をすべて写し、あるいは抄写を試みました。


手で写すことは

コンピューターに打ち込むよりははるかに有効であります

手で覚え、肉体化されたものは

いわば未分の全体を含むものであります

手で写して新しく得た資料は

すでにある資料と感じ合い

お互いに意味づけをしていく

そういう過程の中で私が写し続けた文字は

文字自身がゆっくりと

自らの素性を明らかにしてくれるのであります

そのような文字、卜文(ぼくぶん)を記したであろう占い師

貞卜者(ていぼくしゃ)の意識に

私は写しながら自然と近づいていったのでしょう

それで私が気がついたとき

古代文字は

なんとその体系をすべて明らかにしてくれたのです

手で卜文を写すという手の作業が

その掌、指、筆先に

古代人を憑依させたのであります