ブログのデザインを変えてみました。
カラフルに可愛らしい感じ(?)になったかなぁ?
で、わたしには居場所がない。
昨日、またつれあいと話し始めて、わたしの孫たちを
含めてその両親達ともう一度きちんと話をしてみたいと
話始めたら、孫たちにはきちんと理解できないだろう
からやめてって言われ(じゃ何歳になったら理解できる
っていうの?そのときには死んじゃってたら?)、
もうつれあいはその話にかかわる精神的な気力も受け
入れていくだけの勇気もないって言われ、いつもそう
なんだけど頭では理解しているけど(ってほんとうに
きちんと理解してくれているの?いろいろググったりして
気にしている様子もないし)、気持ちとして生理的に
受け入れられないって言われ、あたしの今までの言動、
行動にずっと我慢してきて、いまこの年齢になってまで、
さらに我慢を強いられなきゃ行けないの、老後の人生を
楽しく生きていきたかったのにって言われました。
社会ではLHBTQ+への理解や多様性を認め合わなきゃ
いけないだのと風潮が嵐のように吹きつけているけど、
とてもじゃない、つれあいはそんな風には乗れないって、
生理的に認められない人間だっているよって言われました。
たしかに、わたしの過去のことについては、つれあいに
つらい悲しい思いをさせてこともあったし、自分で会社
を起業したし(でもこの時は前もって話したし、応援
しますって言ってくれたじゃないですか)、とかでさん
ざん迷惑をかけ、精神的な負担を強いてきたけど、それ
なりに生活を楽しんでくれていたと思ったんだけど、
今までの自分すべてを全否定され、わたしが今まで以上に
これからもっと女性としてこれ以上の形で生きていきたい
のであれば、家をでてひとりで好きに生活したらいいん
じゃないと言われ、あげく離婚の話まで出てきました。
わたしには、いま、一人で生活を始めるだけの精神的な
気力も、金銭的なチカラもないので、このままの現状を
受け入れるしかなく、あなたの前では、負担をかけない
様に(つれあいのまえではふつうの姿をみせる、すっごく
たまに、つれあいが外出する時とわたしが外出する時は
自由に穏やかに過ごせる、そんな生活)過ごしていくこと
を選ばざるをえない、という意味では、
わたしがこころ穏やかに過ごせる居場所はどこにもない
ってことで、つらい、悲しい。
どこにわたしの存在価値を見いだせるのだろうって。
笑顔のない家庭って。。。。。
なにかをなしとげるための決断の時って。。。。
女性として最後を迎えたいとか思ってこのブログを
始めたときの思いはいったいどこに。。。。