Buon giorno♪
タダで巡るフィレンツェの名品紹介。
アンドレア・デル・サルトが描いたセピアの壁画が残るスカルツォの回廊を2回にわたってお届けしています。
前回は画家のデル・サルトの紹介をしました。
2回目の今回は描かれた内容、洗礼者ヨハネの人生について解説します。

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洗礼者ヨハネはキリストに洗礼を授けた人としてキリスト教ではとても重要視されます。
この人がいなければキリストは洗礼を受けず、キリスト教自体が生まれることがなかったかもしれないからです。
洗礼者ヨハネはキリスト教画に描かれる聖人の中でも登場率トップクラスです。
成人後の姿はもちろんですが、聖母子像に子供姿で登場することもあります。

ラファエロの「ひわの聖母」
キリストはキリスト教で旧約聖書の預言に出てくる「救世主」とみなされています。
その「救世主」が現れる前に先導者のような役割の人が現れる、と旧約聖書に記載があり、洗礼者ヨハネはその人物とされることがしばしばあります。
なのでこんな感じでキリストを指差してるんですね。この人が救世主ですよ、って。
この図の有名どころでいうとルーヴルにあるダヴィンチの「洗礼者ヨハネ」があります。
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さて、前置きが長くなってしまいましたが、スカルツォの回廊に描かれている素描に沿って洗礼者ヨハネの人生を辿ってみたいと思います。
洗礼者ヨハネの人生はルカによる福音書に詳しく書かれています。
ユダヤ教の祭司ザカリヤとその妻エリザベツの間には長い間子供ができませんでした。
ある日ザカリヤが神殿でお香を焚いていると天使が現れます!
驚くザカリヤ。対して天使は「驚かないで。あなたとエリザベツの間に男の子が生まれます。その子をヨハネと名付けなさい」と伝えます。
ザカリヤの前に現れた天使を描いた図。
しかしザカリヤは「そんなことはありえません!だって私も妻も年老いています!」と訴えます。それを聞いた大天使ガブリエルは「これは神様のご意思ですよ。神様を信じるまであなたは口をきけなくなります」といって去って行きました。
その6ヶ月後、同じ天使ガブリエルは今度はマリアの前に現れてこう言います。
「おめでとう、恵まれた方。あなたは神の子を身籠もります」
ですが、やっぱりマリアも半信半疑。
「どうしてそんなことがありえるでしょう?私はまだ結婚していません」
それに対してガブリエルは「あなたの親戚のエリザベツも老年ですが身籠もりました。神様にできないことはないのです」と説明します。
それを聞いたマリアは天使の言葉を受け入れ、エリザベツの元を訪れます。
左がマリア、そしてそれを迎え入れるエリザベツ。
この2人のお腹にはキリスト教上とっても大事な2つの命が宿っているのです。
エリザベツはマリアに「お腹の子も喜んでいるわ」と伝えます。
月満ちてエリザベツは男の子を産みます。親戚が「お父さんと同じザカリヤと名付けましょう」というのですがエリザベツは「ヨハネです!」といって譲りません。そこでザカリヤに聞いたところ書き板に「ヨハネ」と書きました。
右側でザカリヤが子供の名前を書いています。
「ヨハネ」と書いた途端、ザカリヤは口がきけるようになったのです。
大きくなったヨハネは荒野で修行していました。
ラクダの毛皮を着てイナゴを食べるだけの生活。
人々は「この人こそ救世主にちがいない!」と口々に言い合うのですが、当のヨハネは「私より後に来る人が本当の救世主。私はその人の靴の紐をほどく値打ちもない」と言います。前述のヨハネが指を指しているのもここから来ています。
ですが、当時は一番の洗礼者だったヨハネ。キリストも彼の前に現れて洗礼を受けようとします。それを見たヨハネは「私があなたから洗礼を受けるべきなのに、どうしてここにいるのですか?」と問います。しかし、キリストは「今はあなたから受ける必要があるのです」といって洗礼を受けます。
これがそのシーン。キリストの洗礼とわかるのは上に必ず聖霊を表すハトがいるからです。そして横には天使が2人。この図はヴェロッキオやデッラ・フランチェスカでも同じ構図です。
ここで思い出したいのが2人の出生です。
どちらも神の恵みによって生まれました。
しかし2人の決定的違い(キリスト教において)はヨハネが神の祝福を受けてザカリヤとエリザベツの間に生まれた人の子であるのに対し、キリストの父は神。キリストは地上に生まれた神の子供なのです。
愛を説いたキリストと比べるとヨハネは律法(ユダヤ教の教え)を守ることを説きました。
彼の矛先は当時の為政者ヘロデ・アンティパスにも向けられます。
「あなたは兄弟の奥さんと結婚しましたが、それはユダヤの教えに反します」
そう言われたヘロデはヨハネを捉えて牢屋に閉じ込めます。
本当のところは民集の熱烈な支持を得ていたヨハネの政治力を心配したんじゃないかと思います。
捉えられるヨハネ。真ん中が王。その隣にいるのが妻のヘロデア。
為政者の権限を見せるにはヨハネを野放しにしておくわけにはいきません。
しかし、ヨハネに何かしたら熱狂的にヨハネを支持する民衆の反感を買うことは必須。
ヘロデは決めきれずに決断をずるずる引き延ばします。
フロイト的に言うとこのヘロデ・アンティパスって父親コンプレックスがあった気がするんですよね。お父さんは偉大&バイオレントだったんですが、息子の方はおそらくいたってフツーだった。だからヨハネを警戒し、民衆を恐れたんじゃないかと。
そんなある日、ヘロデは自分のバースデー・パーティーを開きます。
そこで妻ヘロデアの連れ子サロメが華麗なダンスを披露します。
「おお、娘よ、なんてよく踊った!なんでも褒美を取らせるぞ!」
お義父さんは嫁の前でいい格好もしたかったのでしょう、こんなことを言います。
しかし、サロメはまだうら若き少女。
「お母さん、お義父さんがああ言ってるけど何もらったらいい?」
それに対してヘロデアは「ヨハネの首っていいなさい」と囁きます。
王の左にいるのがヘロデア。黒幕です。
「お義父さん、ヨハネの首を盆に乗せて持ってきて欲しいんですけど・・・」
マジで?( ̄□ ̄;)!!
とヘロデは思ったでしょうが、パーティーに来たたくさんの人たちの前で約束したことです。為政者たるもの二言は禁物。
「ヨ、ヨハネの首を盆に乗せて持ってこい!」
と命令します。

当時のイスラエルはローマ帝国の支配下。ヘロデもローマ帝国の一領主にすぎません。民衆の支持を得ているヨハネを閉じ込めたままでいることは、親分のローマ帝国にも申し訳が立たなかったからこの機会を利用した、と見るのが実際には正しいでしょう。
ヨハネの首を盆に乗せている図。誕生日プレゼントとしてあまり嬉しいものではない気がしますが・・・

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このストーリーは時が経つにつれてサロメに焦点が当たるようになりました。
その中でも大きかったのが19世紀末のファム・ファタール・ブーム。
ギュスターヴ・モローの絵ではエキゾチズムたっぷりのサロメが描かれます。
そしてファム・ファタール「サロメ」の名を不動にしたのがこちら。
「お前の口に口づけしたよ、ヨカナーン」

("J'ai baise ta bouche" Wikipediaより)
オスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」です。
彼は聖書のストーリーを大胆に編集して彼独自の「サロメ」を作りました。
サロメの詳細についてはこちらをどうぞ。
天国への門が開いた!Part 8☆洗礼者ヨハネとサロメ
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サン・マルコ寺院からも程近いスカルツォの回廊。
楽しんでいただけましたでしょうか?
無料で入れるこの隠れた美術館、ぜひ足を伸ばしてみてください。
スカルツォの回廊
Via Camillo Benso Cavour, 69
開館日:月、木、土(第1&3&5)、日(第2&4)
開館時間:8:15~13:50


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