誰だって星空の下では同じ☆ルネサンス期のライバル メディチ家とパッツィ家 | フィレンツェ観光ガイド 加藤まり子 in 東京

フィレンツェ観光ガイド 加藤まり子 in 東京

フィレンツェ観光ガイドの資格を2016年に取得しました。
現在は都内で美術の鑑賞の仕方を教えています。
詳しくはホームページから。
http://mariko-no-heya.com/


絵画や建築に大きな影響を及ぼしたルネサンス。
フィレンツェではその影響をいたるところに見ることができます。
ウフィツィ美術館に収蔵されている作品やドゥオモ、そして教会建築やその中に収められている美術品・・・

ですが、知らなければ見過ごしてしまいそうなものもあるんです。
今回はその中でもルネサンスにおける占星術をとりあげます。


☆☆☆


メディチ家の菩提寺と言われるサン・ロレンツォ教会。
その再奥に旧聖具室があります。




ここにはフィレンツェのルネサンスの発展に貢献した老コジモことコジモ・ディ・メディチとその2人の息子が眠ります。


キリストの磔刑像の上をよく見ると・・・




なんと天空の絵が描かれています!

1980年代の研究によると、これは1442年7月4日の空を表した図だそうです。
なぜこの図が老コジモのお墓の上を飾ることになったのでしょう・・・


実はこれと全く同じ図がフィレンツェにもう一つ存在するのです。


こちらはサンタ・クローチェ教会にあるパッツィ家の礼拝堂。
半分消えていますが、ここに描かれているのもメディチ家礼拝堂にあるのと全く同じ時の図なんです。

実はパッツィ家はメディチ家のライバル。
1478年にはパッツィ家がメディチ家を襲うという事件が発生しています。

それなのに、全く同じ図が両家の礼拝堂に描かれているって不思議な気がします。

詳細は今でもよくわかっていないそうですが、描かれた天空図の1442年はフィレンツェにアンジュー公ルネが来た年だそうです。
アンジュー公ルネは南仏プロヴァンスを治めましたが、メディチ家同様、芸術に造詣が深かったとされます。

表向きは政治的な目的で来たとされるルネ。
実際にはどんな話しがされたのでしょう。
そしてメディチ家とパッツィ家の間にはどのようないきさつがあったのでしょう。

すべては600年近く前の話し。

21世紀の今宵も空には星と月がかかっています。









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