『夫婦の修復が完全に不可能な場合もあるか、そして、まだ自分にできることは何かあるか』

という質問の続きです。





“誰かを変えるためにまずは自分を変える”

これは間違いだと前回の記事で書きました。

なぜなら。

“他者を変えることはできない”

からです。

誰かが変わったのは、その人が“主体的に変わった”だけです。

もしあなたが自らを変えた結果だとしても、あなたのその姿に“相手が勝手に影響された”だけなのです。



そして、ご質問をいただいた方は、

『少しでも事態が変わってほしい、そのために笑顔でいる努力をして、疑うことや責めることはせず、明るくするように心がけている』

でも、

『どんなことをしても、自分のことはもう好きになってはくれないだろうと思うと悲しい』

とおっしゃっています。



前回の記事で、


「お母さんこれだけあなたのことを思ってやっているのに、なんで勉強しないの?
どうしてお母さんの言うことわかってくれないの?!」

いやいや母さん、勉強するかどうかは“その子どもの課題”であって、お母さん自身の課題じゃないですからね。


と書きました。


今回は、これに関連することを少し書きます。



人間は、家族・学校・職場など、様々な場面で『他者と常に関わっている』という環境にいます。

基本的には、誰かと関係を築いた中で生きています。

というより、その世界の中でしか生きていけません(特殊な例は除き)。





人間は誰しも完璧ではありません。

誰にでも、できないことや不得手なこと、苦手なものなどがあるはずです。

それらを『全てできなければならない』と、完璧を追い求めていたらどこかでオカシクなります。

だから、普通は『できないことがあって当然』と思っているはずです。

そしてこれをポジティブに考えれば、できないことにもチャレンジしていこうという前向きな姿勢につなげることもできます。


これを、他者に対しても同じように感じることができたら。

上で書いたように、人間は誰しも完璧ではありません。

仕事でミスをした人を「なんでできねーんだよっ」と見下したり、

テストであまり良い点数が取れなかった子どもに「なんでこんな問題もできないの?!」と怒ってみたり。

そうやって見下したり怒ったりするのではなく、“自分がそうであるように、みんな完璧な人間ではない”と、誰かのことも同じように捉えることができれば、ということです。


そして、誰かが自分のありのままの姿(苦手なこと、不得手なことなども含めた姿)を受け入れてくれていると相手が思うことができれば、その人はあなたのために“貢献”してくれる可能性が高くなります。

できない自分も足りない自分もドンくさい自分もこの人は受け入れてくれている。
じゃあ、自分もこの人のために何かしよう、感謝されるように頑張ろう。

そんなふうに思ってくれる可能性が高くなります。



『できない自分も自分だ。そのできない自分でも周りが受け入れてくれている。
そのできない自分なりに頑張っていこう、みんなのために頑張ろう』

こんなふうにみんなが思うことができたら。

イジメや争いも減るんじゃないかなと思うのです。

そしてそうすると、全てをひっくるめた自分自身の受容も、自然とできるのではないかと思うのです。



って、こんなふうに書くと、なんだか“ポジティブ教”みたいな感じになってしまって若干気持ち悪いですが…




人間関係において、誰かのために何かをしたときに。

「ありがとう。あなたのおかげ、あなたがいてくれたおかげ」と言われたら、とても嬉しくなるはずです。

そうやって他者から感謝をされ、自分も幸せな気分になる。

そして自分も誰かの役に立っていると、自分の価値を認めることができるようになるのだと思うのです。

もちろん、自身の劣等感も含めて、ですよ。





つづく。