さて。

過ぎ去った人生の午前の輝きをもう一度取り戻そうと頑張るモラトリアムおっさんたち。
そのお相手が既婚者では成立しないのかどうか。


今回の『繰り返す』場合の対象は、「自分を若い頃と同じように扱ってくれる相手」であり、「その新鮮な相手との交わりによって、過ぎ去ったはずの素敵な時間を、素敵な相手と再度共有できる」という前提があります。

なおかつその実態が「相手と(仮想的な)恋愛関係をもつことによる自身の承認」なので、既婚者だと意味がないんじゃないか、と思うのです。

既婚者×既婚者だとアトクサレがないとか、相手が何か言い出す心配もほぼないとかの安心感(?)はあったとしても、なんだか違う。
やはり所帯を感じさせない、誰の所有物でもない女性との『恋愛』によって自己を再度承認してほしい、まだまだ老いていくわけにはいかない自分の願望を叶えてほしい。


浮気であっても『恋愛感情』を引き起こす脳内物質は分泌されます。
仮想的な恋愛関係においても、(自分にとっての)魅力的で素敵な女性が『自分だけのもの』という前提においてその関係が進行することをおっさんたちは望むはずです。
自分が承認されるためには、その相手の見てくれる存在が『自分だけ』でなければならないからです。


既婚女性は家庭に帰れば『妻』であり『母』であるので、彼女は自分の知らないところで彼女の役割をもっている。
『誰かのもの』である女性では、自分だけを見つめて承認してほしいおっさんにとっては不十分なわけです。

相手の「後ろ」に夫やら子どもやらがいては、自分の人生の午前の時間の再現はできないわけですからね。


自分には家庭があるにもかかわらず、相手の女性には『自分だけを見て自分だけを特別な個人として承認してほしい』なんていう勝手な思いがある。

そのためには、やはり『誰のものでもない女性』である必要があるんじゃないかなと思うわけです。


というわけで、中年期の危機にぶっ潰されそうになっているおっさんを満たすためには、既婚女性との浮気は成立しないんじゃないかと考えてみました。





つづく。